開高健の小説【読書感想】芥川賞 代表作 闇三部作 玉砕ける 眼のまえに風景が広がり、文字のあいだから香りたつ小説たち

書評

この記事は、開高健の小説を読んだ感想を書いています。

芥川賞受賞作、代表作の闇三部作、玉砕ける、新しい天体などを読み感想を書きました。

眼のまえに風景が広がり、文字のあいだから香りがたつ小説。眼と耳、鼻、口で楽しめる文章を書く作家さんです。。

開高 健 電子全集1 漂えど沈まず―闇三部作

『 輝ける闇 』『 夏の闇 』『 花終わる闇 』(未完)

開高健さんの小説のうち、最高傑作はと、尋ねられたとき『 輝ける闇 』『 夏の闇 』を選択する人はおおいと思います。

闇三部作の集大成になる予定だった『 花終わる闇 』は,開高健の死去により未完です。

輝ける闇

輝ける闇 』はベトナムの従軍記者をした経験を元に書いた小説。戦争時のベトナムが小説の舞台。主人公は20~30代の新聞記者の男。

ベトナム戦争の記憶など、チッともありません。しかし、文章を読むだけで、ベトナム戦争当時の状況を体験できるのです。『 ニューヨークタイムズ 』でも『 輝ける闇 』は、ベトナム戦争を体験できる小説だと絶賛されました。

『 輝ける闇 』を読んでいると、ルポなのか私小説なのか、混乱し分からなくなってくるのです。ベトナムの街なみや、街に暮らしている人の姿、声、顔、体臭が、文章からクッキリと浮かびあがってきます。これはルポなのでは、と思うときがあるのです。女性とのからみもシツコく、ネバコっく、ネバネバと描写されており、天井にトカゲがいて鳴いたとか、これはフィクションなのかノンフィクションなのか混乱します。

ベトナム戦記 』を読んでいると、このあたりの話は、フィクションだろうなとアタリをつけるこは可能です。

ベトナム戦争の前線に取材にむかうことを主人公はきめる、前線にむかう不安について、心の内側を丹念に描写しています。主人公の不安は、開高健の実際に感じていた不安だったのでしょうか。

主人公が前線に到着してからは、戦争小説よりも、リアルな戦争の描写が繰り広げられます。神は細かいところに宿る、そいうことであれば『 輝ける闇 』は神が宿った小説といえるでしょう。

アメリカ軍の攻撃する音、それ以上に大きく反撃する敵側の音。アメリカ軍の懸命に治療する姿、味方と通信を試みる声、無気力なベトナム人兵士の姿。

開高健が経験した襲撃の描写を書いてある『 ベトナム戦記 』と『 輝ける闇 』の襲撃の描写を比べ、どこが違っているのか、文章の違いなど色々な発見があります。

夏の闇

夏の闇 』は『 輝ける闇 』の、何年か後の話だと思います。きっちりと何年後とは、書かれてはいません。『 輝ける闇 』の小説の舞台も、きっちりとは書かれてはおらず、フランスとドイツあたり、と推測されます。

主人公の男性と相手の女性が、ひたすら、寝て、食べて、情交をするだけの小説。そんな小説は退屈で面白くないと、ポイっと投げ捨てる人もおおいでしょう。私も1度読んでまったくピンッとこなかった作品です。

主人公の男性は、欝々とし、人嫌い、知識はたくさんあるが、脳は動いておらず、つねに脳に霞がかり、寝ているような人間。そんな人物が、ポツリ、ポツリと、脳にピンどめしたくなる名言を呟く。菩提樹の聖人、荒野の哲学者、竹林の賢人のように清廉潔白な人間のように見えてくるのです。主人公は怠惰であるが、真面目で潔白な人間。だからこそ、世間に疲れ、汚れ、眠るしかないのかもしれません。

開高健といえば、食事と釣りのエッセイをたくさん書いています。『 夏の闇 』でも、食事と釣りの描写があります。フランスの壺にはいったモツ料理、どっさり具がのったピザ。ドイツの湖での釣りを楽しめます。

夏と闇、輝と闇。開高健は、矛盾する二つのものを一つの作品に落としこみたかったような気がします。

『 夏の闇 』は電子書籍を買ったのですが、紙の本も買うほど脳と心臓にビビッときた一冊。紙の本のあとがきがC・W・ニコルでした。はじめて読んだエッセイがC・W・ニコルだったのを思い出し、懐かしい気持ちになり、調べてみると2020年に亡くなられていたことを知りました。C・W・ニコルは、英語版の『 夏の闇 』を大絶賛。英語に訳しても『 夏の闇 』は、すばらしいのです。

『 夏の闇 』を戦後純文学の最高傑作にあげる人もいます。

花終わる闇

開高健がずっと、カイタ、カケンと苦しんだ未完の『 花終わる闇 』の感想は書かないでおこうと思います。

開高健が書き直し、まったく違う小説に生まれ変わり、『 花終わる闇 』が発売された可能性もあったはずです。

一言だけ「完成した『 花終わる闇 』を読みたかった」

開高 健 電子全集2 純文学初期傑作集/芥川賞より

流亡記

城壁の中の住む一人の男性の視線で物語は進行します。

なんとなく古い時代なんだろうなと想像はつきますが、時代背景や国がまったくわかりません。話がすすむにつれ、だんだんと時代背景がわかり、男性の生きている時代がわかります。

昔の別人の見たこと、聴いたこと、嗅いだ匂いを読者にキッチリと伝える文章力にただただ圧倒されました。ねっとりむんむんと目に耳、鼻に風景が思い浮かびます。

風に聴け 』にてカフカのメモ断片を集めて、組み立てた小説だと紹介されていました。また、開高健自身が、私の小説のなかで朝に読むのなら『 流亡記 』だと答えていました。朝に読むには胃もたれしそうですが。

裸の王様

アンデルセンの童話『 裸の王様 』と同じタイトルの小説。この小説で芥川賞を受賞しました。

絵画教室に参加した子どもは、絵を書かない子どもでした。絵を書かない子どもの心をやさしく溶きほぐす絵画教室の先生。絵画教室の子どもたちには、自由に絵を描かせたいと望む先生。しかし、汚い大人の政治、金に巻き込まれていきます。

絵を書かなかった子どもですが、少しずつ絵を描き、絵画コンクールに応募します。裸の王様の姿は、どのようなものだったのか、あなたは想像できますか。

パニック

日本の政治や、県の行政をちょっとバカにしたようなピリッとした風刺小説。

ネズミが大繁殖し、あちこちにパニックがおきる話です。

パニック感がリアルに描かれています。日本でリアルに起こりそうなパニック感で、こんな災害がおこったら、日本の政治はグダるだろうなと思わせるうすら寒さを感じました。

アフリカ大陸ではネズミではありませんが、バッタが大発生しています。人間がどれだけ科学の力を発達しても、自然の力には勝てないゾ。という開高健の声が聴こえてきそうです。

日本三文オペラ

物語のときは、戦後すぐ、いまは立派な大阪城がそびえ建っているあの場所が舞台です。第二次世界大戦中、あの土地には兵器工場がありました。大阪城ホールで夜勤をしていたときに聴いた話では、ここには2種類の霊が教えられたものです。甲冑をきている霊と、軍服をきている霊。

話がそれました。戦後すぐの兵器工場は、米軍に爆撃され、壊された鉄や銅などの鋼材がそのまま放置されていました。その鋼材はいちおう国のものですが、その鋼材を土地から堀りだし、売り払うアウトロー集団がいたのです。その集団の生活を書いたのが『 日本三文オペラ 』

アウトロー集団は、アパッチ族と名付けられています。彼らはアパッチ族のように風にのり、斧をふるうように鋼材を掘りだし、馬にのった速度で逃走。戦後の混沌とした時代に、ヤケッパチな生き方ですが、活気があり、自由であり、何かに反逆したいそんな気骨ある集団です。

しかし、彼らもまたアパッチ族のように、ボロボロと滅びる王朝や種族のような、諸行無常を味わえます。

巨人と玩具

架空の3社のお菓子会社が、キャラメルのオマケをめぐって壮絶な争いを繰り広げるお話。架空の物語、会社ですが、繰り広げられる広告合戦はリアルの一言。「あぁ、ありそうだな」とウンウン頷くことでしょう。

開高健がサントリーの宣伝部に在籍したからこそ、書くことができた小説だなと思いました。

キャラメルの玩具を販売する巨人(会社)は、どうなっていくのか。オマケ戦争の結末はどうなるのか。想像力を刺激された物語でした。

屋根裏の独白

『 屋根裏の独白 』は『 流亡記 』と同じで、導入からしばらく話を読みすすめないと、物語の場所、人物が分からないです。わたしなどは、日本の田舎者の話かと思っていました。

読み進めると、どうも日本人ではないゾと気づかされ、ふむふむ、あの有名な独裁者の若いころの話なのかなと想像し、たしか有名な独裁者も絵描きを目指していたなと。

闇シリーズとおなじで、月日が書かれており、話がすすんでいきます。

街と部屋で・・・・・・

『 屋根裏の独白 』と登場人物は一緒です。続編なのでしょうか。

不景気な時代の鬱屈した少年の暮らし、暮らしている街の様子、世間の様子を丁寧に淡々と書いています。

このシリーズは『 街と部屋で 』完結なのでしょうか、尻切れ感があり、続きが読みたくなってくる作品。

白日のもとに

病院の描写から物語はすすみだします。

その病院のトイレは、海につきだしており、雲古をすると、ポチョンと海に落ちていく。海に住んでいる魚たちが、その雲古をパシャパシャと食べるという。ベトナム戦争時に、開高健はおなじような光景を見る。ベトナムでは雲古で育てた魚は、その村で食べずに隣村にもっていくそうだが、この小説では雲古で育てた魚を食べる。

雲古がメインの小説ではありませんゾ。終戦間際の日本兵を描いている戦争小説です。戦場には行っていない開高健。帰還兵たちの話を聞き、物語を組み立てのでしょうか。

フンコロガシ

いまも社会問題になっているイジメ。この小説のテーマはずばりイジメです。

本を読むのが好きで、暇があれば本を読んでいる少年。少年は定規などなくとも、まっすぐな線、ゆがみがない円を描け、本を読み想像だけで、飛行機などの機械を書けるのです。しかし、そういう特殊技能をもった少年は、イジメにあってしまいます。

イジメは今も昔もひどいものです。この小説はずっとイジメられていた少年が必死に耐えに耐え、ある地点で命を爆発させる、その1点が光る小説でした。

昭和の高度成長期あたりの釣り師のお話。

一人語りから物語ははじまり、釣り場につくと会話形式の小説にと変化します。

釣り師は、つねに人をだしぬこう、だしぬこうと考えるものです。後年おおらかになった開高健も若いときは、人をだしぬこうとし、痛い目を見たのでしょうか。

睦雄の経験

戦後すぐの大学生当時の開高健がモデルと思われる『 睦雄の経験 』

ジャン・コクトオやヴェルレーヌなどフランスの詩人の詩が作品には登場します。フランスの詩人など1人も知らない私なぞは、開高健の頭には、どれほどの文字がつまっていたのだろうかと考えさせられます。

後年フランスに行き、フランスにほれる開高健。文学や詩をとおしてフランスへの憧れがあったのでしょうか。

ラストシーンは、開高健と牧羊子の情事をだったのではと考えました。ひとさまの情事をチラッと覗き見たときに感じる後めたさよ。

無邪気

教師と学生の交流を描いた『 無邪気 』

今作には川柳が登場し、開高健は川柳まで嗜んでいたのかとビックリでございますわよ。末摘花の話もでてきて、あぁ、開高健が好きそうだな末摘花は。源氏物語の末摘花ではありませんよ。川柳のなかでも下ネタばかりを集めたのが末摘花です。いろごと辞典を読んでいなければ、末摘花という言葉なんて知りませんでしたよ。

Able was I ere I saw Elba.

エルバ島を見るまでは我力ありき、というのや。

引用元:無邪気

反対から読んでも同じ意味になる、ナポレオンが残した言葉と紹介されています。『 睦雄の経験 』でも登場していました。

開高健が好きそうな、エスプリがきいている言葉ですね。

なまけもの

舞台は戦後直後の大阪。二人の大学生を中心にして物語はすすみます。ひとりは読書人のなまけもの、もう1人は、はたらきもの大学生。読書人のモデルは開高健自身のように思えます。

大学にかようために、はたらく必要がある当時の大学生。彼らは選挙事務所ではたらきはじめます。彼らの選挙陣営は成金、資本主義陣営。そんな陣営ではたらくのを恥と感じる主人公。共産党主義の陣営の生徒からはバカにされるシーンがあります。このあたりは、いまの感覚ではよくわかりませんでした。

選挙戦でのゴタゴタ、このあたりは分かります。そして、はたらきものだと思われていた彼がとった行動にぽか~んとなりました。

指のない男の話

戦争の匂いがしない小説『 指のない男の話 』

他人の家の留守を預かった男と、ちかくに遊びにきた若者たちの物語。

ひょんなことから、何人かの若者たちがのったヨットが海に流されます。ヨットを救おうとする若者の奮戦する姿。これが痛ましく、心に残る作品でした。

ロマネ・コンティ・一九三五年 六つの短篇小説

ロマネ・コンティ・一九三五年

短篇小説集『 ロマネ・コンティ・1935

短篇小説だが1篇1篇を読み切ると、ドッと疲れます。しつこいまでに綿密なワインの表現、ちょっとラインが崩れている妖艶な白人女性の体、ぷ~んとチーズ的な臭いがしてきそうな路上などの様子が、ネチっこく丁寧に書かれています。きほん開高健の文体はネチっこく粘つく。

玉、砕ける

短篇小説集に収録されている『 玉、砕ける 』は、中国のお話、魯迅の話ではと推測されます。そして砕ける玉も、意外なものでできた玉です。

川端康成文学賞を受賞。さらに海外でもウケた短篇。アメリカの出版社が選ぶ、読むべき短篇小説に選ばれたことがあると聴きました。『 玉、砕ける 』のファンだという海外の女優さんと会い、開高健のホッペにキスをしている写真があります。

ロマネ・コンティ・1935 』を読み、開高健の表現方法を学ぶのであれば、ソムリエの表現方法を学べばいいんじゃない、と考えて読んだ本が『言葉にして伝える技術

言葉で文章で、相手に味を伝えるのはむずかしいもんです。

新しい天体

新しい天体 』は、開高健の文章を口と鼻、眼、歯茎で味わう長編小説。

たこ焼きからはじまり、松坂牛、北海道のうまいもん、岡山の果物。まさに日本を舞台に繰り広げられる、ジャパニーズフルコース。

食べている料理や店の様子、食べている人間の姿を表現する、語彙力、比喩、オノマトペにうっとりしていると、アッアッ、と言っているあいだに、料理を隣からかっさらわれるように、大好物の料理をペロリと食べるように、ページをめくっていると読み終わっていました。

ストーリ自体は平凡というか、まったく面白くないです。味と風景の言葉の表現だけで、力づくで最後まで読まされていました。手元に置き、料理や酒の表現に困ったとき、チラッと読んでみて、パク、いやオマージュして、文章に使ったりしています。鋭い読者には、パクったのを見破られているかもしれません。

開高 健 電子全集7 小説家の一生を決定づけたベトナム戦争より

渚から来るもの

『 渚から来るもの 』は、『 輝ける闇 』のプロトタイプ。ベトナムという国を架空の国にかえた小説です。

『 輝ける闇 』と似たような話もあり、開高健が失敗作と語っています。

どちらを読むかは、あなたのお好みで。

兵士の報酬

ベトナムで襲撃をうけたあとの後日談ともいうべき短篇小説だと思われます。

生きて帰ってきた都市を舞台に、死の淵から生還したアメリカ兵との交流が書かれていました。

アメリカ兵はどのようなものを食べて暮らしていたのか、アメリカ兵は何を想いベトナムで戦い、血を流したのか。

フロリダに帰る

日本に帰ってきた作者と、ベトナムから帰ってきたアメリカ兵との再会。そのまえに会社に訪れたトボけた老人との会話。2つの柱からなる短篇小説。

釣りの話がちらっとでてくるあたり、戦争にすこし疲れてきていたのではと思われます。ゴカイがとれなくなり、ビニールでゴカイに似たルアーを作りあげます。そのルアーのネーミングセンスに微苦笑。

ベトナム戦争から帰ってきたアメリカ兵隊との再会、会話では、ベトナム戦争では数多くのアメリカ兵も流血し、欠損し、亡くなっていったのだと気づかされます。

戦争はダメだと言う世界、しかし、その世界から戦争はなくなりませんね。

岸辺の祭り

主人公がベトナムにいたときの短篇小説『 岸辺の祭り 』

ベトナムで知り合った日本の少年との交流を通じて物語はすすみます。チャアシュウメンを食べたと書かれていました。ベトナムといえば、現在では米麺のイメージがつよいです。この当時はまだチャアシュウメンだったのでしょうか。

この短篇小説は、ベトナム戦争版クリスマス休戦について書かれています。音楽には、平和を呼びよせる力があるかないか、考えさせられました。

豊満の種子

『 豊満の種子 』この小説は、阿片、アヘンについての短篇小説。

この短篇小説は、阿片を食べて開高健が書いた詩、散文詩。読んでいると阿片を食べたくなってくる、たいへん危険な短篇小説ともいえます。阿片を食べれば、開高健のような文章が書けるものでしょうか。

阿片を食べると捕まってしまう、そこで作中に書かれていたカニかハトをいつか食べてみたいと、つよく思いました。

貝塚をつくる

中国の大富豪の釣り人と主人公が知りあい短篇小説は本格的に動きだします。『 貝塚をつくる 』は、開高健が魚を釣るという行為にソロッと戻ってきたころのお話のように感じました。

中国の大富豪と釣りにいき、クエを清蒸にし、食べる時のお汁たっぷりの鶏の身のようにデカくしまっている白身。おいしい部分はどこかと主人公が尋ねます。中国の大富豪が、ひとつずつ部位を指さします。開高健はクエの清蒸がなによりも好きで、一緒に食べる人のために自らクエをとりわけました。上客順に、中国の大富豪から教えられた部位ごとにとりわけていたのでしょうか。

前半までは、どこかの開高健の釣りエッセイで書かれています。物語は後半に追加されているのです。フィクションなのか、開高健が実際に聴いた話を元にしたのかわかりません。

ベトナム戦争の徴兵から逃げたベトナム人の話です。彼らはどのように暮らし、何を食べていたのかわかります。日本の古墳からでてくる貝。これがヒントにもなり、タイトルの伏線になります。

怪物と爪楊枝

この短篇小説はむずかしい、非常に。バウ将軍について書かれている短篇小説です。

バウ将軍のモデルは、グエン・ゴク・ロアンと言われています。

グエン・ゴク・ロアンも評価がわかれる人物です。読んでサムシングを感じますが、それが何なのか分からない、そんな短篇小説。

洗面器の唄

金子光晴の『 洗面器 』という詩に影響されて書かれたであろう短篇小説。ベトナム戦争時に洗面器についての描写がくりひろげられる。

ベトナム戦争時の洗面器の使い方は多種多様。料理や栽培、闘コオロギなど。たしかに頑丈な素材でつくられた洗面器はいろいろな使い方ができそうだと。

開高健の小説やエッセイには、よく洗面器が登場します。濁った錆びたよう銀色の洗面器に、開高健の眼はひきつけられたのでしょう。洗面器ひとつから、短篇小説が出来上がるとは恐れいりました。

開高 健 電子全集6 純文学初期傑作集/新人作家時代

ロビンソンの末裔

第二次世界大戦終戦あたりからはじまる北海道移民の物語。終戦の混乱のなか、北海道の大地に忘れさられた移民たち。東京のドン底から逃れるために、北海道に移民したはずが、そこもドン底。底も底、東京よりも厳しい自然に翻弄されながら、北海道の土地にしがみつく移民たちの暮らしを開高健が書く。

『 ロビンソンの末裔 』を書くために、北海道移民に取材にいったと書かれていました。行動派開高健だからこそ書けた小説でしょう。

『 日本三文オペラ 』と『 ロビンソンの末裔 』を比べると、動と静。自然の厳しい北海道の大地にノミのように移民たちは北海道にしがみつき生き残ろうとします。戦後の混乱した状態です。彼らにまで支援はなかなか回りません。それでも移民たちは、必死に生きる手段を探します。ドン底まで落ちたとき、人はどのような行動をとるのか考えさせらました。ドン底で必死にもがくのか、ドン底よりマシな生活を探し、ドン底から逃げだすのか。

悲惨な話なのですが、内地の湿度のようにべっとりしておらず、北海道の高原のようにドライな小説です。文体が「です、ます調」なのも影響しているのでしょうか。

『 ロビンソンの末裔 』のなかには、北海道のことを「東洋のウクライナ」と書いていました。かの大国と隣接している立地の北海道。

片隅の迷路

日本の司法制度や検察に不信をもっている人たちは『 片隅の迷路 』を読んではいけまぬゾ。

なんの救いもなく、ひとりのか弱き女性とそのまわりの人たちが、検事によって不幸になる話です。ルポタージュを書くように、淡々と物語はすすんでいきます。検察に翻弄される人々の声、はぎしりする声なき叫び、検事の用意周到な罠、権力をつかった強引なハメかた、読んでいると、胃酸がたくさんあふれ出たように胃のあたりがムカムカしてきます。

日本の司法は、50年前とな~んも変わってないんじゃないの、と思い知らされ読み終わるとドッと疲れました。また犯人にしたてあげられた女性のように、検察によって犯人にしたてあげられたらどうしようか、という恐怖がぞわぞわと忍びよります。

陪審員制度は導入されました。しかし陪審員制度、機能していると思います?

『 徳島ラジオ商殺し事件 』を取材し、書き上げた小説が『 片隅の迷路 』です。『 徳島ラジオ商殺し事件 』の結末がどうなったのかはご確認ください。

やってみなはれ みとくんなはれ

やってみなはれ みとくんなはれ 』は、サントリー(元寿屋)の歴史を書いている小説。

戦前のサントリーの歴史を山口瞳が書き、戦後のサントリーの歴史を開高健が書いています。二人ともサントリーの宣伝部出身の作家。

冒険心あふれる熱い男たちが。成功と挫折を繰り返しながら、国産ウィスキー製造、ビール市場に参入と、未知の領域にドンドンと前進していく様子が書かれています。

「やってみなはれ」は、本当にいい言葉だと思いませぬか。

山口瞳

山口瞳は、向田邦子もオススメしていた作家。『 酒呑みの自己弁護 』という本を読みました。

すべてのエッセイが、酒に関係することばかりという、驚くべきエッセイ。読んでいると、お酒を飲みたくなり、エッセイは短くスラスラと読めます。

酒飲み”あるある”に、フフッと笑い頷きながら、いつのまにか酒を飲みすぎて、自己弁護することにならないようにご注意。

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