開高健の全小説【あらすじと読書感想】 眼のまえに風景が広がり、匂いが文字のあいだから香りたつ文章

書評

この記事は、開高健の小説を読んだ感想を書いています。

開高健が発表したすべての小説を読み、あらすじと感想を書いています。

眼のまえに風景が広がり、文字のあいだから香りがたつ小説たち。濃密でかっちりと組み立てられた散文や詞のように感じられる文体。

小説のあちらこちらに現代に生きる私たちの道しるべになりうる名言や警句があります。

開高 健 電子全集1 漂えど沈まず―闇三部作

『 輝ける闇 』『 夏の闇 』『 花終わる闇 』(未完)

開高健さんの小説のうち、最高傑作はと、尋ねられたとき『 輝ける闇 』『 夏の闇 』を選択する人はおおいと思います。

闇三部作の集大成になる予定だった『 花終わる闇 』は,開高健の死去により未完です。

輝ける闇

輝ける闇 』はベトナムの従軍記者をした経験を元に書いた小説。戦争時のベトナムが小説の舞台。主人公は20~30代の新聞記者の男。

ベトナム戦争の記憶など、チッともありません。しかし、文章を読むだけで、ベトナム戦争当時の状況を体験できるのです。『 ニューヨークタイムズ 』でも『 輝ける闇 』は、ベトナム戦争を体験できる小説だと絶賛されました。

『 輝ける闇 』を読んでいると、ルポなのか私小説なのか、混乱し分からなくなってくるのです。ベトナムの街なみや、街に暮らしている人の姿、声、顔、体臭が、文章からクッキリと浮かびあがってきます。これはルポなのでは、と思うときがあるのです。女性とのからみもシツコく、ネバコっく、ネバネバと描写されており、天井にトカゲがいて鳴いたとか、これはフィクションなのかノンフィクションなのか混乱します。

ベトナム戦記 』を読んでいると、このあたりの話は、フィクションだろうなとアタリをつけるこは可能です。

ベトナム戦争の前線に取材にむかうことを主人公はきめる、前線にむかう不安について、心の内側を丹念に描写しています。主人公の不安は、開高健の実際に感じていた不安だったのでしょうか。

主人公が前線に到着してからは、戦争小説よりも、リアルな戦争の描写が繰り広げられます。神は細かいところに宿る、そいうことであれば『 輝ける闇 』は神が宿った小説といえるでしょう。

アメリカ軍の攻撃する音、それ以上に大きく反撃する敵側の音。アメリカ軍の懸命に治療する姿、味方と通信を試みる声、無気力なベトナム人兵士の姿。

開高健が経験した襲撃の描写を書いてある『 ベトナム戦記 』と『 輝ける闇 』の襲撃の描写を比べ、どこが違っているのか、文章の違いなど色々な発見があります。

夏の闇

夏の闇 』は『 輝ける闇 』の、何年か後の話だと思います。きっちりと何年後とは、書かれてはいません。『 輝ける闇 』の小説の舞台も、きっちりとは書かれてはおらず、フランスとドイツあたり、と推測されます。

主人公の男性と相手の女性が、ひたすら、寝て、食べて、情交をするだけの小説。そんな小説は退屈で面白くないと、ポイっと投げ捨てる人もおおいでしょう。私も1度読んでまったくピンッとこなかった作品です。

主人公の男性は、欝々とし、人嫌い、知識はたくさんあるが、脳は動いておらず、つねに脳に霞がかり、寝ているような人間。そんな人物が、ポツリ、ポツリと、脳にピンどめしたくなる名言を呟く。菩提樹の聖人、荒野の哲学者、竹林の賢人のように清廉潔白な人間のように見えてくるのです。主人公は怠惰であるが、真面目で潔白な人間。だからこそ、世間に疲れ、汚れ、眠るしかないのかもしれません。

開高健といえば、食事と釣りのエッセイをたくさん書いています。『 夏の闇 』でも、食事と釣りの描写があります。フランスの壺にはいったモツ料理、どっさり具がのったピザ。ドイツの湖での釣りを楽しめます。

夏と闇、輝と闇。開高健は、矛盾する二つのものを一つの作品に落としこみたかったような気がします。

『 夏の闇 』は電子書籍を買ったのですが、紙の本も買うほど脳と心臓にビビッときた一冊。紙の本のあとがきがC・W・ニコルでした。はじめて読んだエッセイがC・W・ニコルだったのを思い出し、懐かしい気持ちになり、調べてみると2020年に亡くなられていたことを知りました。C・W・ニコルは、英語版の『 夏の闇 』を大絶賛。英語に訳しても『 夏の闇 』は、すばらしいのです。

『 夏の闇 』を戦後純文学の最高傑作にあげる人もいます。

花終わる闇

開高健がずっと、カイタ、カケンと苦しんだ未完の『 花終わる闇 』の感想は書かないでおこうと思います。

開高健が書き直し、まったく違う小説に生まれ変わり、『 花終わる闇 』が発売された可能性もあったはずです。

一言だけ「完成した『 花終わる闇 』を読みたかった」

開高 健 電子全集2 純文学初期傑作集/芥川賞より

流亡記

城壁の中の住む一人の男性の視線で物語は進行します。

なんとなく古い時代なんだろうなと想像はつきますが、時代背景や国がまったくわかりません。話がすすむにつれ、だんだんと時代背景がわかり、男性の生きている時代がわかります。

昔の別人の見たこと、聴いたこと、嗅いだ匂いを読者にキッチリと伝える文章力にただただ圧倒されました。ねっとりむんむんと目に耳、鼻に風景が思い浮かびます。

風に聴け 』にてカフカのメモ断片を集めて、組み立てた小説だと紹介されていました。また、開高健自身が、私の小説のなかで朝に読むのなら『 流亡記 』だと答えていました。朝に読むには胃もたれしそうですが。

裸の王様

アンデルセンの童話『 裸の王様 』と同じタイトルの小説。この小説で芥川賞を受賞しました。

絵画教室に参加した子どもは、絵を書かない子どもでした。絵を書かない子どもの心をやさしく溶きほぐす絵画教室の先生。絵画教室の子どもたちには、自由に絵を描かせたいと望む先生。しかし、汚い大人の政治、金に巻き込まれていきます。

絵を書かなかった子どもですが、少しずつ絵を描き、絵画コンクールに応募します。裸の王様の姿は、どのようなものだったのか、あなたは想像できますか。

パニック

日本の政治や、県の行政をちょっとバカにしたようなピリッとした風刺小説。

ネズミが大繁殖し、あちこちにパニックがおきる話です。

パニック感がリアルに描かれています。日本でリアルに起こりそうなパニック感で、こんな災害がおこったら、日本の政治はグダるだろうなと思わせるうすら寒さを感じました。

アフリカ大陸ではネズミではありませんが、バッタが大発生しています。人間がどれだけ科学の力を発達しても、自然の力には勝てないゾ。という開高健の声が聴こえてきそうです。

日本三文オペラ

物語のときは、戦後すぐ、いまは立派な大阪城がそびえ建っているあの場所が舞台です。第二次世界大戦中、あの土地には兵器工場がありました。大阪城ホールで夜勤をしていたときに聴いた話では、ここには2種類の霊が教えられたものです。甲冑をきている霊と、軍服をきている霊。

話がそれました。戦後すぐの兵器工場は、米軍に爆撃され、壊された鉄や銅などの鋼材がそのまま放置されていました。その鋼材はいちおう国のものですが、その鋼材を土地から堀りだし、売り払うアウトロー集団がいたのです。その集団の生活を書いたのが『 日本三文オペラ 』

アウトロー集団は、アパッチ族と名付けられています。彼らはアパッチ族のように風にのり、斧をふるうように鋼材を掘りだし、馬にのった速度で逃走。戦後の混沌とした時代に、ヤケッパチな生き方ですが、活気があり、自由であり、何かに反逆したいそんな気骨ある集団です。

しかし、彼らもまたアパッチ族のように、ボロボロと滅びる王朝や種族のような、諸行無常を味わえます。

巨人と玩具

架空の3社のお菓子会社が、キャラメルのオマケをめぐって壮絶な争いを繰り広げるお話。架空の物語、会社ですが、繰り広げられる広告合戦はリアルの一言。「あぁ、ありそうだな」とウンウン頷くことでしょう。

開高健がサントリーの宣伝部に在籍したからこそ、書くことができた小説だなと思いました。

キャラメルの玩具を販売する巨人(会社)は、どうなっていくのか。オマケ戦争の結末はどうなるのか。想像力を刺激された物語でした。

屋根裏の独白

『 屋根裏の独白 』は『 流亡記 』と同じで、導入からしばらく話を読みすすめないと、物語の場所、人物が分からないです。わたしなどは、日本の田舎者の話かと思っていました。

読み進めると、どうも日本人ではないゾと気づかされ、ふむふむ、あの有名な独裁者の若いころの話なのかなと想像し、たしか有名な独裁者も絵描きを目指していたなと。

闇シリーズとおなじで、月日が書かれており、話がすすんでいきます。

街と部屋で・・・・・・

『 屋根裏の独白 』と登場人物は一緒です。続編なのでしょうか。

不景気な時代の鬱屈した少年の暮らし、暮らしている街の様子、世間の様子を丁寧に淡々と書いています。

このシリーズは『 街と部屋で 』完結なのでしょうか、尻切れ感があり、続きが読みたくなってくる作品。

白日のもとに

病院の描写から物語はすすみだします。

その病院のトイレは、海につきだしており、雲古をすると、ポチョンと海に落ちていく。海に住んでいる魚たちが、その雲古をパシャパシャと食べるという。ベトナム戦争時に、開高健はおなじような光景を見る。ベトナムでは雲古で育てた魚は、その村で食べずに隣村にもっていくそうだが、この小説では雲古で育てた魚を食べる。

雲古がメインの小説ではありませんゾ。終戦間際の日本兵を描いている戦争小説です。戦場には行っていない開高健。帰還兵たちの話を聞き、物語を組み立てのでしょうか。

フンコロガシ

いまも社会問題になっているイジメ。この小説のテーマはずばりイジメです。

本を読むのが好きで、暇があれば本を読んでいる少年。少年は定規などなくとも、まっすぐな線、ゆがみがない円を描け、本を読み想像だけで、飛行機などの機械を書けるのです。しかし、そういう特殊技能をもった少年は、イジメにあってしまいます。

イジメは今も昔もひどいものです。この小説はずっとイジメられていた少年が必死に耐えに耐え、ある地点で命を爆発させる、その1点が光る小説でした。

昭和の高度成長期あたりの釣り師のお話。

一人語りから物語ははじまり、釣り場につくと会話形式の小説にと変化します。

釣り師は、つねに人をだしぬこう、だしぬこうと考えるものです。後年おおらかになった開高健も若いときは、人をだしぬこうとし、痛い目を見たのでしょうか。

睦雄の経験

戦後すぐの大学生当時の開高健がモデルと思われる『 睦雄の経験 』

ジャン・コクトオやヴェルレーヌなどフランスの詩人の詩が作品には登場します。フランスの詩人など1人も知らない私なぞは、開高健の頭には、どれほどの文字がつまっていたのだろうかと考えさせられます。

後年フランスに行き、フランスにほれる開高健。文学や詩をとおしてフランスへの憧れがあったのでしょうか。

ラストシーンは、開高健と牧羊子の情事をだったのではと考えました。ひとさまの情事をチラッと覗き見たときに感じる後めたさよ。

無邪気

教師と学生の交流を描いた『 無邪気 』

今作には川柳が登場し、開高健は川柳まで嗜んでいたのかとビックリでございますわよ。末摘花の話もでてきて、あぁ、開高健が好きそうだな末摘花は。源氏物語の末摘花ではありませんよ。川柳のなかでも下ネタばかりを集めたのが末摘花です。いろごと辞典を読んでいなければ、末摘花という言葉なんて知りませんでしたよ。

Able was I ere I saw Elba.

エルバ島を見るまでは我力ありき、というのや。

引用元:無邪気

反対から読んでも同じ意味になる、ナポレオンが残した言葉と紹介されています。『 睦雄の経験 』でも登場していました。

開高健が好きそうな、エスプリがきいている言葉ですね。

なまけもの

舞台は戦後直後の大阪。二人の大学生を中心にして物語はすすみます。ひとりは読書人のなまけもの、もう1人は、はたらきもの大学生。読書人のモデルは開高健自身のように思えます。

大学にかようために、はたらく必要がある当時の大学生。彼らは選挙事務所ではたらきはじめます。彼らの選挙陣営は成金、資本主義陣営。そんな陣営ではたらくのを恥と感じる主人公。共産党主義の陣営の生徒からはバカにされるシーンがあります。このあたりは、いまの感覚ではよくわかりませんでした。

選挙戦でのゴタゴタ、このあたりは分かります。そして、はたらきものだと思われていた彼がとった行動にぽか~んとなりました。

指のない男の話

戦争の匂いがしない小説『 指のない男の話 』

他人の家の留守を預かった男と、ちかくに遊びにきた若者たちの物語。

ひょんなことから、何人かの若者たちがのったヨットが海に流されます。ヨットを救おうとする若者の奮戦する姿。これが痛ましく、心に残る作品でした。

ロマネ・コンティ・一九三五年 六つの短篇小説

ロマネ・コンティ・一九三五年

短篇小説集『 ロマネ・コンティ・1935

短篇小説だが1篇1篇を読み切ると、ドッと疲れます。しつこいまでに綿密なワインの表現、ちょっとラインが崩れている妖艶な白人女性の体、ぷ~んとチーズ的な臭いがしてきそうな路上などの様子が、ネチっこく丁寧に書かれています。きほん開高健の文体はネチっこく粘つく。

玉、砕ける

短篇小説集に収録されている『 玉、砕ける 』は、中国のお話、魯迅の話ではと推測されます。そして砕ける玉も、意外なものでできた玉です。

川端康成文学賞を受賞。さらに海外でもウケた短篇。アメリカの出版社が選ぶ、読むべき短篇小説に選ばれたことがあると聴きました。『 玉、砕ける 』のファンだという海外の女優さんと会い、開高健のホッペにキスをしている写真があります。

ロマネ・コンティ・1935 』を読み、開高健の表現方法を学ぶのであれば、ソムリエの表現方法を学べばいいんじゃない、と考えて読んだ本が『言葉にして伝える技術

言葉で文章で、相手に味を伝えるのはむずかしいもんです。

新しい天体

新しい天体 』は、開高健の文章を口と鼻、眼、歯茎で味わう長編小説。

たこ焼きからはじまり、松坂牛、北海道のうまいもん、岡山の果物。まさに日本を舞台に繰り広げられる、ジャパニーズフルコース。

食べている料理や店の様子、食べている人間の姿を表現する、語彙力、比喩、オノマトペにうっとりしていると、アッアッ、と言っているあいだに、料理を隣からかっさらわれるように、大好物の料理をペロリと食べるように、ページをめくっていると読み終わっていました。

ストーリ自体は平凡というか、まったく面白くないです。味と風景の言葉の表現だけで、力づくで最後まで読まされていました。手元に置き、料理や酒の表現に困ったとき、チラッと読んでみて、パク、いやオマージュして、文章に使ったりしています。鋭い読者には、パクったのを見破られているかもしれません。

耳の物語

『 耳の物語 』は、『破れた繭 』と『 夜と陽炎 』の二部構成です。

『 破れた繭 』が、『 青い月曜日 』とおなじく大阪でオギャーと生まれてから、大阪で育ち、結婚をし、娘を出産するまでの物語です。耳が抜群にヨカッタと言われている開高健。隣の英語教室の授業を聴き、自分の授業で聴いた英語をそのまま教えることができる、そんな耳を持っていた開高健。耳の物語という題名どおり、経験した音に傾聴し、人生を振り返る私小説です。音に注目するものの、そこは開高健、ムン、ツンとくるような香り、読んで観ることができる風景を書いています。

私小説と書きましたが、読んでいると散文であり、詞を朗読しているような響きのある文体です。

『 夜と陽炎 』は、寿屋に入社してから、南北アメリカを縦断するまでを書いています。小説やエッセイで書いたことのある経験もあります。寿屋の経験、作家デビュー、旅行、釣り、アマゾンなどなどの体験を、耳というフィルターを通し、頭のなかで音を分解し、濃密な体験を濃縮し、原稿用紙にひとつひとつの文字として落としこんだ。開高健の人生を知りたければ、『 耳の物語 』を聴けばよい、ということになりそうです。

『 耳の物語 』では、今までの小説やエッセイで知らないことも書かれていました。寿屋の正月の広告「寿」の文字の秘密やシャルトル大聖堂のステンドグラスに感動した話、妻や娘に激怒される話、その妻や娘に戦争を追いかけない宣言をする様子が書かれていました。

『 開高 健 電子全集17 耳の物語/珠玉 』には、『 赤い夜 』と『 一日 』の短篇も収められています。

『 赤い夜 』が、ベトナムの戦場ですごした短篇。『 一日 』は、ベトナムの市街での一日を書いています。ベトナムの取材は、命がけだったのだと思い知らされます。ひょんな偶然、すこしの不運で人の命はあっけなく散るのだと。

珠玉

『 珠玉 』は、『 掌(て)のなかの海 』と『 玩物喪志 』、『 一滴の光 』の3つの短篇から成り立っています。3つの短篇はひとつひとつは独立しながら、小説家という繋がりがあり、3つの短篇はひとつの小説のように思えました。

掌のなかの海

登場人物はすくなく小説家とバーの店長、海難事故で息子を亡くした医者。この3人がメインの登場人物です。

行方不明の息子を探すうちに、開業医をやめ、船医になった医者。息子の遺物を探し、全世界を回遊します。船のうえではやることが少なく読書にはまる医者。そして、もうひとつはまったもの、それがアクアマリン集めです。アクアマリンは船乗りのお守りとしても有名であり、薄青く光りを通すほど透明な宝石。

アクアマリンを眺めているうちに、浮かんでくる感情はどのようなものでしょうか。薄青く輝くアクアマリンの向こう側に小説家は何を見たのか。

玩物喪志

【玩物喪志】せっかく何かやろうとしたつもりが、途中で本来の目的でない事に興味を奪われて、結果的には何もやらないのと同じ結末になること。

引用元:新明解国語辞典

オチをいうのはご法度だと思っています。読み終わったあとに、ピッタリのタイトルだったナと納得させられました。

『 玩物喪志 』の舞台は、中華料理屋。そして赤い宝石ガーネットの物語です。小説家は、赤く煌めくガーネットを持ち歩き、ありとあらゆる場所でガーネットを観察します。公衆トイレの蛍光灯のしたでもガーネットを観察するのです。

ガーネットを観察していると、小説家の頭には、かつて忘れていた、ありとあらゆる赤い記憶が蘇ってきます。『 玩物喪志 』は、赤の研究小説ともいえるでしょう。赤といえば、赤ワイン。開高健の十八番、赤ワインの描写の妙も味わえます。

赤に特化した日本小説の最高傑作『 玩物喪志 』

一滴の光

ムーン・ストーンと御叱呼(おしっこ)の物語です。すこし言いすぎました。小説家と若い女性との物語です。

「女性を書くことができたら一流の小説家」と開高健はよく書いていました。女性関連の小説を書くのに苦労していたように思います。『 一滴の光 』では女性との情事を書いています。小説家と若い女性の情事の様子は、卑猥さや汚濁を感じることはなく、清潔さ、たとえば中学生の恋愛のような潔癖さを感じられる、そんな清廉な文章です。卑猥なことをいたしているのに、卑猥さを感じることなく、清流の流れに浸っているような、マイナスイオンが文章の隙間から沸き立ちます。

そして、『 一滴の光 』を読み終わったあなたは、御叱呼(おしっこ)を浴びたくなる、なるでしょう、おそらく、御叱呼(おしっこ)を浴びたくなるはずです。

動物農場 開高健訳

開高健が訳したジョージ・オーウェル著『 動物農場

エッセイなどで開高健が、動物農場をベタホメしているのは、開高健ファンであればご存知のことでしょう。なんと、開高健が訳した動物農場があったのです。

開高健がベタホメしていた理由は、読んでいる途中、読み終わってからシミジミとわかりました。童話のように分かりやすい物語ですが、読んでいる途中、読み終わってから、ほの暗く、ゾッとしたうすら寒さを覚えます。

なんで動物が人間と話すことができるんだ、というツッコミをするのは野暮です。

人間からの独立を勝ちとった動物たちが、どのような行動をしていくか、それを注視していくと、この動物のキャラはあの独裁者か、それともあっちの独裁者か。またこの広報官は、あのコシギンチャクか、わーわー騒ぐ動物は、一般人だろうか、学がなく、ひたすら真面目に働く動物は、まるで彼のようだ。登場人物が動物で書かれているおかげで、あなたの想像した人間像にあてはめやすいのです。

見事に、騙され、教育され、支配されていく様子がわかります。もしかしたら、知らず知らずのうちに、あなたも動物のひとりになっているのかもしれません、大丈夫ですか。わたしは大丈夫とは言えませんね。いろいろ見て、考え、勉強することが大事だと思いました。

開高健は動物農場はホメ称えました、ジョージ・オーウェルのもっとも有名な『 1984 』は失敗作だと語っています。ですが、この本の半分以上は『 1984 』の感想文というか、エッセイというか、詞のようなものを開高健が書いています。そのページ数は、動物農場とほぼ同じページ数。

あれだけ『 1984 』は、失敗作だと言っていたのに、これだけの文字数を書き、トクトクと解説するのは、もう好きというか惚れているのではと思いました。そして解説を読んでいるうちに『 1984 』を読みたくなってくる開高マジック。

開高 健 電子全集7 小説家の一生を決定づけたベトナム戦争より

渚から来るもの

『 渚から来るもの 』は、『 輝ける闇 』のプロトタイプ。ベトナムという国を架空の国にかえた小説です。

『 輝ける闇 』と似たような話もあり、開高健が失敗作と語っています。

どちらを読むかは、あなたのお好みで。

兵士の報酬

ベトナムで襲撃をうけたあとの後日談ともいうべき短篇小説だと思われます。

生きて帰ってきた都市を舞台に、死の淵から生還したアメリカ兵との交流が書かれていました。

アメリカ兵はどのようなものを食べて暮らしていたのか、アメリカ兵は何を想いベトナムで戦い、血を流したのか。

フロリダに帰る

日本に帰ってきた作者と、ベトナムから帰ってきたアメリカ兵との再会。そのまえに会社に訪れたトボけた老人との会話。2つの柱からなる短篇小説。

釣りの話がちらっとでてくるあたり、戦争にすこし疲れてきていたのではと思われます。ゴカイがとれなくなり、ビニールでゴカイに似たルアーを作りあげます。そのルアーのネーミングセンスに微苦笑。

ベトナム戦争から帰ってきたアメリカ兵隊との再会、会話では、ベトナム戦争では数多くのアメリカ兵も流血し、欠損し、亡くなっていったのだと気づかされます。

戦争はダメだと言う世界、しかし、その世界から戦争はなくなりませんね。

岸辺の祭り

主人公がベトナムにいたときの短篇小説『 岸辺の祭り 』

ベトナムで知り合った日本の少年との交流を通じて物語はすすみます。チャアシュウメンを食べたと書かれていました。ベトナムといえば、現在では米麺のイメージがつよいです。この当時はまだチャアシュウメンだったのでしょうか。

この短篇小説は、ベトナム戦争版クリスマス休戦について書かれています。音楽には、平和を呼びよせる力があるかないか、考えさせられました。

豊満の種子

『 豊満の種子 』この小説は、阿片、アヘンについての短篇小説。

この短篇小説は、阿片を食べて開高健が書いた詩、散文詩。読んでいると阿片を食べたくなってくる、たいへん危険な短篇小説ともいえます。阿片を食べれば、開高健のような文章が書けるものでしょうか。

阿片を食べると捕まってしまう、そこで作中に書かれていたカニかハトをいつか食べてみたいと、つよく思いました。

貝塚をつくる

中国の大富豪の釣り人と主人公が知りあい短篇小説は本格的に動きだします。『 貝塚をつくる 』は、開高健が魚を釣るという行為にソロッと戻ってきたころのお話のように感じました。

中国の大富豪と釣りにいき、クエを清蒸にし、食べる時のお汁たっぷりの鶏の身のようにデカくしまっている白身。おいしい部分はどこかと主人公が尋ねます。中国の大富豪が、ひとつずつ部位を指さします。開高健はクエの清蒸がなによりも好きで、一緒に食べる人のために自らクエをとりわけました。上客順に、中国の大富豪から教えられた部位ごとにとりわけていたのでしょうか。

前半までは、どこかの開高健の釣りエッセイで書かれています。物語は後半に追加されているのです。フィクションなのか、開高健が実際に聴いた話を元にしたのかわかりません。

ベトナム戦争の徴兵から逃げたベトナム人の話です。彼らはどのように暮らし、何を食べていたのかわかります。日本の古墳からでてくる貝。これがヒントにもなり、タイトルの伏線になります。

怪物と爪楊枝

この短篇小説はむずかしい、非常に。バウ将軍について書かれている短篇小説です。

バウ将軍のモデルは、グエン・ゴク・ロアンと言われています。

グエン・ゴク・ロアンも評価がわかれる人物です。読んでサムシングを感じますが、それが何なのか分からない、そんな短篇小説。

洗面器の唄

金子光晴の『 洗面器 』という詩に影響されて書かれたであろう短篇小説。ベトナム戦争時に洗面器についての描写がくりひろげられる。

ベトナム戦争時の洗面器の使い方は多種多様。料理や栽培、闘コオロギなど。たしかに頑丈な素材でつくられた洗面器はいろいろな使い方ができそうだと。

開高健の小説やエッセイには、よく洗面器が登場します。濁った錆びたよう銀色の洗面器に、開高健の眼はひきつけられたのでしょう。洗面器ひとつから、短篇小説が出来上がるとは恐れいりました。

開高 健 電子全集6 純文学初期傑作集/新人作家時代

ロビンソンの末裔

第二次世界大戦終戦あたりからはじまる北海道移民の物語。終戦の混乱のなか、北海道の大地に忘れさられた移民たち。東京のドン底から逃れるために、北海道に移民したはずが、そこもドン底。底も底、東京よりも厳しい自然に翻弄されながら、北海道の土地にしがみつく移民たちの暮らしを開高健が書きます。

ロビンソンの末裔 』を書くために、北海道移民に取材にいったと書かれていました。行動派開高健だからこそ書けた小説でしょう。

『 日本三文オペラ 』と『 ロビンソンの末裔 』を比べると、動と静。自然の厳しい北海道の大地にノミのように移民たちは北海道にしがみつき生き残ろうとします。戦後の混乱した状態です。彼らにまで支援はなかなか回りません。それでも移民たちは、必死に生きる手段を探します。ドン底まで落ちたとき、人はどのような行動をとるのか考えさせらました。ドン底で必死にもがくのか、ドン底よりマシな生活を探し、ドン底から逃げだすのか。

悲惨な話なのですが、内地の湿度のようにべっとりしておらず、北海道の高原のようにドライな小説です。文体が「です、ます調」なのも影響しているのでしょうか。

『 ロビンソンの末裔 』のなかには、北海道のことを「東洋のウクライナ」と書いていました。かの大国と隣接している立地の北海道。

片隅の迷路

日本の司法制度や検察に不信をもっている人たちは『 片隅の迷路 』を読んではいけまぬゾ。

なんの救いもなく、ひとりのか弱き女性とそのまわりの人たちが、検事によって不幸になる話です。ルポタージュを書くように、淡々と物語はすすんでいきます。検察に翻弄される人々の声、はぎしりする声なき叫び、検事の用意周到な罠、権力をつかった強引なハメかた、読んでいると、胃酸がたくさんあふれ出たように胃のあたりがムカムカしてきます。

日本の司法は、50年前とな~んも変わってないんじゃないの、と思い知らされ読み終わるとドッと疲れました。また犯人にしたてあげられた女性のように、検察によって犯人にしたてあげられたらどうしようか、という恐怖がぞわぞわと忍びよります。

陪審員制度は導入されました。しかし陪審員制度、機能していると思います?

『 徳島ラジオ商殺し事件 』を取材し、書き上げた小説が『 片隅の迷路 』です。『 徳島ラジオ商殺し事件 』の結末がどうなったのかはご確認ください。

青い月曜日

開高健の学生時代から結婚、出産までの自伝的小説『 青い月曜日

『 なまけもの 』『 フンコロガシ 』要素もネリこまれています。開高健の芥川賞受賞までのことを知りたければ『 青い月曜日 』を読めば分かるでしょう。

開高健の奥さんとの出会いから結ばれる様子も書かれています。魅力的な女性として書かれていました。開高健がベタホレ、猛プッシュ、そして想いをとげ、結婚。

初期のエッセイでは、開高健は、お嫁さんのヘソクリのおかげで大学を卒業できたと書いています。大阪の女は、情に厚いおまっせと書いていたはずです。どこで二人は食い違ってきたのでしょうかね。

いまを生きている私たちですら、20歳そこそこで父親になったら真っ青な顔になり、どうしたらよいのか途方にくれることでしょう。戦後まもなく20歳そこそこで父親になった開高健の心のなかも、真っ青になったのでしょうか。開高健のみ知る。

コンドームは大事ということを学んだ小説。

名人

この小説のジャンル分類がむずかしい。名人の老人と若い娘。

名人の老人には隠さなければいけない秘密があり、他人に決してみせてはいけない技術をもっています。

また若い娘も心にチクリと尖ったナイフを持っている。そんなお二人のお話。

ユーモレスク

舞台は開高健がつとめていたサントリー時代がモデルになっていると思われます。

けったいな男が現れる。身なりもよく知識もあるが、センミツ屋と影では言われていました。センミツ屋とは。

そして阿呆みたいなことに金をかける、阿呆な時代ならではの衝撃のオチ。

眼のスケッチ

タイトルの通り開高健が眼で見たものをスケッチしているエッセイ?小説?

産まれ故郷の大阪から、アウシュヴィッツ博物館まで見たものを書きとめています。

見たものを書く描写力はさすがの一言。描写力を磨くために、眼で見たものを書く訓練をはじめるのは如何?

エスキモー

現在では使っては使ってはいけない言葉ですが、昔のタイトル通りなので、そのまま使わさしてもらいます。

核戦争がおわったあとの、荒廃した放射能あふれる大地を舞台に繰り広げられる物語。アメリカ人やロシア人、日本人、多国籍の人間がひとつのテントで暮らす様子が書かれています。

開高健のニヒリズムが溢れかえる物語です。

太った

親友谷沢永一の眼から見た開高健を、開高健が書いた私小説。

書いてみたら、とてもややこしいが、そういうことです。

開高健が、谷沢永一にホメないと人は伸びないゾ、と書かれていたシーンが印象的でした。人はやはりホメて伸びるものなんだなぁと。開高健ですらホメられたいのだと。

見た

戦後まもなくの、親友向井敏と開高健の二人の物語。

いがらっぽく、せつなく、やりきれない気持ちを持ちながらも、働かなければいけない時代を書いています。

大学生が興味があることといえば、溢れださんばかりの激情とリビドー。彼らは何を見たのか。

笑われた

同棲から、出産までの私小説風物語。

他人さまの同棲生活を隠れ視る背徳感がありますよね。

ハハハ強シ。主人公は笑われた。

生者が去るとき

病室でくりひろげられる物語。

人によっては、トラウマになりかねない、なんとも陰惨で、あちこちに陰影があり、死の匂いが立ち込めている。

人はどのようなときに、生を実感するのか、病院には何を感じ騒ぐのか。

五千人の失踪者

まじめに機械のように正確に、きっちりと仕事をしていた人間がいる。フイッとどこかへ行く。きっちりした人間なのに、計画もクソもなく、ある程度のお金を握りしめ、フラフラとその日ぐらしをはじめる。

失踪者と呼ばれた彼はどうなるのか。開高健がはやくも家庭から失踪したくなり、この小説を書いたのではと思いました。

開高 健 電子全集4 同人誌時代 同人誌『えんぴつ』とサントリー宣伝部『洋酒天国』の頃 1949~1958

開高健が芥川賞を受賞するまでに書いた小説やエッセイをまとめた、開高健ファンが待ち望んでいた一冊。

小説では『 えんぴつ 』で発表された小説や『 あかでみあ めらんこりあ 』『 やってみなはれ 』が掲載されています。『 えんぴつ 』で発表された小説は『 なまけもの 』や『 青い月曜日 』の原型のように感じました。『 あかでみあ めらんこりあ 』は、どこか退廃的な小説です。開高健のニヒリズムな一面が顔をだしています。

小説だけでなく、同人誌時代のエッセイや、そして伝説となった『 洋酒天国 』のエッセイも掲載されているイタレリツクセリの一冊。コピーライターの才能はどこから生み出されたのか、それが謎です。

酒の味を覚え、活き活きとした文章、楽しんで仕事をしているのがわかります。ただ、あとになると締め切りにおわれアップアップしだし、従業員募集まで掲載されていました。山口瞳が募集によばれやってきますね。

やってみなはれ みとくんなはれ

やってみなはれ みとくんなはれ 』は、サントリー(元寿屋)の歴史を書いている小説。

戦前のサントリーの歴史を山口瞳が書き、戦後のサントリーの歴史を開高健が書いています。二人ともサントリーの宣伝部出身の作家。

冒険心あふれる熱い男たちが。成功と挫折を繰り返しながら、国産ウィスキー製造、ビール市場に参入と、未知の領域にドンドンと前進していく様子が書かれています。

「やってみなはれ」は、本当にいい言葉だと思いませぬか。

山口瞳

山口瞳は、向田邦子もオススメしていた作家。『 酒呑みの自己弁護 』という本を読みました。

すべてのエッセイが、酒に関係することばかりという、驚くべきエッセイ。読んでいると、お酒を飲みたくなり、エッセイは短くスラスラと読めます。

酒飲み”あるある”に、フフッと笑い頷きながら、いつのまにか酒を飲みすぎて、自己弁護することにならないようにご注意。

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