開高健 釣りエッセイのすべて 名言あふれるエッセイ オーパ!釣った 書いた 笑った開高健がいた時代 オーパに随伴した人のエッセイを読んだ感想もあり

書評

開高健のすべての釣りエッセイを読みふけり、読んだ感想を書いている記事です。

開高健の釣りエッセイは、部屋の椅子に腰かけながら読んでいると、まるで世界中を歩き回り、海や川で釣りをしているような気分になる文章です。目や耳、口、肌で自然の空気、海の冷たさ、清涼な川の流れ、ジャングルの蒸し蒸しとした空気を感じられるでしょう。アームチェアーフィッシャーマンになれるのです。

釣りエッセイの文章は詩のようでもあり、哲学的、ハードボイルド、お茶目。あらゆる要素をブチ込んだ大人のおもちゃ箱。

そのビックリ箱ともいえる文章のなかには、宝石の原石のようにキラリと光る名言が文章中に散りばめられています。開高健が書く珠玉の名言をあなたのメモ帳に書きこんでおくと、豊かな人生をおくるヒントになるでしょう。

オーパ!に同行したお三方のエッセイの感想も書きました。

開高健の釣りエッセイ一覧(出版順)

  • 私の釣魚大全
  • フィッシュオン
  • オーパ!
  • オーパ、オーパ!!
  • もっと遠く!もっと広く!
  • オーパ、オーパ!!2

『 開高 健 電子全集 』で、すべての釣りエッセイ読みました。電子書籍には付録として、開高健の想い出を語っている回顧談が書かれています。開高健と触れあった人から見た開高健の姿を知ることができます。回顧談を読み終わったあなたは、ますます開高健が好きになるでしょう。

開高 健 電子全集14『 オーパ!/オーパ、オーパ!! 』には、『 オーパ! 』と『 オーパ、オーパ!!   』の二冊分が収録されており、さらにオマケが収録。

開高 健 電子全集15『 オーパ、オーパ!!2 』には、アラスカ至上篇・コスタリカ篇・モンゴル篇・中国篇・池原ダム・琵琶湖・スリランカ篇が収録されています。

電子書籍は安いのですが、秋本、髙橋カメラマンのうつくしい写真は掲載されていません。

釣り紀行に同行した人のエッセイ

  • オーパ!旅の特別料理
  • 旅人 開高健
  • 開高健とオーパ!を歩く
  • アマゾン河の食物詩
  • 開高 健がいた。

開高健 釣りエッセイを読んだ感想

私の釣魚大全

最初に読んだ開高健の本は『 私の釣魚大全 』だった。買った理由は昔していた釣りが懐かしかっただとか、Amazonで半額だったとか、レビューの評判がよかった、などテキトウな理由だったと思う。

晩年の開高健は、世界中を飛びまわり、巨大魚釣りに没頭する。『 私の釣魚大全 』を書いたときの開高健は釣り人としては、かけだしだと自分で後記に書いている。かけだしだというのに釣りのバイブルともいえる『 釣魚大全 』アイザック・ウォルトン著から、タイトルをつけるあたり開高健の釣りにかける意気込みを感じる。

『 私の釣魚大全 』は、ミミズの話からはじまる。この本が書かれた時期は昭和43年、戦後がおわり、日本が急激に成長し、山を削り、川をせき止め、工場は空気を汚染し、河に汚水をながす。そのような時代、釣りのエサになるミミズが減ってきたことへの嘆きから釣り紀行ははじまる。2020年、日本の環境は開高健が忠告してくれたおかげか、光化学スモッグもでなくなり、少しはよい環境になっている。釣り人のマナーは悪化してるかもしれないが。

本の前半の釣りは、コイにはじまり、タナゴ、アユ、ワカサギ、タイ、イトウと日本の川、海に住んでいる魚がターゲットとなっている。北海道はイトウ釣りにて、はじめてキャスティングを教えてもらっている。

開高健が書く昭和40年代前半の漁師はどこか日本昔話に登場する漁師のような朴訥、鷹揚としたおおわらかな人物がおおい。そんな漁師の姿を活き活きと文章に書いている。古きよき日本男児が本にはいた。

釣りにヘアートニックをもっていくという話がある、ドウいうことだろうかと思って読んでみる。釣りにいき魚が一匹も釣れないことを”坊主”という、つまり髪の毛がなくならないように高級なヘアートニックをふりかけてやれば、坊主にならないということだ。少し親父臭がするジョークだ。

タイの浜焼きや”このこ”などを食べた感想を書いているが、後年の開高健の文章表現に比べるとやや淡泊に感じられる。

北海道の釣りが終わると、日本を飛び出し、フランスからドイツ、ベトナムでの釣りの話になる。開高健ファンなら、そらきたゾと、姿勢をただし、酒で口を湿らすことだろう。

ドイツでの釣りの舞台は『 夏の闇 』で釣りをした舞台のモデルではと想像させられる。ドイツでスピナー(疑似餌)釣りをおぼえ、またキャッチ&リリースも覚えている。

最後の釣りの舞台はベトナムである。ベトナムの風景を書いたら開高健の右にでるものはいないのではないかと思う。文豪の書くベトナムは、ねっちょりネットリとした文章を書く。文章のあいだから、ニョクマムの匂い、屋台の麺屋のお湯の匂い、ベトナム人の高い声、あげくのはてには、身のまわりの空気までが亜熱帯にいるようにねっとりしてくるのである。

開高健がはじめて書いた釣りエッセイは、手探りの状態で書かれたように思われる。どのような釣り人になるか思案しているように感じられた。

フィッシュ・オン

フィッシュ・オン 』は『 私の釣魚大全 』に続く、2冊目の釣りエッセイ。書いた時期は昭和45年。命がけのベトナムレポの約5年後に世界中の魚、おもにサケとマスを釣りあるいている。カメラマンはベトナムに同行した秋元啓一。ベトナム戦記の名コンビ復活でおおくりする釣魚エッセイ。

アラスカからスウェーデン、アイスランド、西ドイツ、ナイジェリア、フランス、ギリシャ、エジプト(戦争の影響で釣りできず)、タイと北半球をぐるりとまわし、最後は日本は銀山平で釣りをする。銀山平は、『 夏の闇 』を書くためにこもった場所でもある。

『 私の釣魚大全 』と『 フィッシュ・オン 』のちがいは、ほとんどの魚をルアーや疑似餌のみで釣りをしていることだろう。しぶしぶイヤイヤ、生餌やイクラを使う場面はある。

また『 フィッシュ・オン 』では、世界の雄大な河や海、山をオオキク悠遊と書いているが、細かい場所はチイサク綿密に書いている。文章を読んでいるだけで、白いプロジェクターに風景が映しだされ、釣り旅行にいった気分になってくる。

また、人間であれば、一度は憧れる釣り生活を満喫しているお話がある、心底うらやましいゾと思わされた。スウェーデンではABU社のロッジにとまった生活など、まさにそれである。王様や貴族級のひとたちがとまるロッジに秋山啓一と二人でとまり、釣りと読書、大人の知的で恥的な会話、酒をゆっくり楽しむ、そんな生活を、5日いや2日でいいから、そのような生活をおくりたい。

後年に飲むお酒はマティーニがおおいが、『 フィッシュ・オン 』ではジントニックをよく飲んでいる。

また開高健の人柄なのか、リッチマン、上流階級、王族と知り合い、おもてなしをされている。西ドイツではパンティー大王の別荘、タイでは王族にもてなされている。夢のような作り話のような人と開高健が知り合えるのは知識、会話術、ジョークが一級品だからだろう。会話してみたいと思わせるサムシング的なものが開高健には備わっていたものと思われる。

食事にかんするウンチク、哲学的な名言もふえだす。そして猥談もふえだす。たとえばだ、エイのアソコは女性のアソコと似ているが、ヒンヤリしているの気持ちいいと聞いたなどと書かれている。ホンマかいな、気になったかたはお試しあれ。

開高 健 電子全集3 釣り紀行 私の釣魚大全/フィッシュ・オン Kindle版

ダウンロードしてから気づいたのですが、おまけには開高健の講演や釣りエッセイや釣り対談がたっぷり収録されており、講演と釣りエッセイ、釣り対談だけで一冊できそうな勢いだ。

開高健ファンであれば、どこかの本で読んだ話もあるかもしれません。

井伏鱒二との釣り好き文豪ふたりの対談はとても興味深かった。ほとんど会話しているのが開高健、静かに相槌をうつ井伏鱒二という構図、動と静といった対比がおもしろい。

ABU社のパンフレットにのったという、開高健が釣りをしている写真を巻末のオマケで見ることができる。ほうほう、これがエッセイに書かれていた例のあの写真かと。

オーパ!/オーパ、オーパ!!

オーパ!

開高健をベストセラー作家におしあげた『 オーパ! 』開高健といえば『 オーパ! 』みたいな世間のイメージでしょうか。PLAYBOY編集は開高健を釣り旅行に連れていったせいで、日本の文学は100年遅れたと怒られたという噂が。

開高健の自宅に一通の手紙が届いた、『 フィッシュ・オン 』を読んだブラジルに住む日系人から。その手紙を読み、開高健にブラジルに興味をおぼえ、ソワソワと釣りにでかけたくなる。編集長と話し合いアマゾン行きを決める。開高健は豪快な性格に見えるが、綿密な計画をたてる。資料を集め、文献を読み、アマゾンについて徹底的に調査し、釣る魚を調べあげる。

『 オーパ! 』旅行にかまけたせいで、開高健が純文学を書くのがおくれ批判されたという話はした。しかし、日本の文学は100年遅れたかもしれないが、『 オーパ! 』は読むことができるもっともワクワクするアマゾン釣り旅行記である。旅行記はいろいろ読んだが、『 オーパ 』を超える旅行記をまだ読んだことはない。アマゾンの雄大な風景、アマゾンの濁った水、アマゾンの鬱蒼とした森、アマゾンに生息している吠える猿、お茶目なイルカ、また開高健たちを悩ましたダニ、すべてを眼、皮膚、鼻で感じられる。部屋に座りながら、アマゾン旅行ができる。読むアマゾンドキュメンタリー2時間映像ともいえる。ダニや猛獣、猛魚が怖い私などは、旅をするよりも『 オーパ! 』を読み、頭のなかで旅をするほうを好む。

もちろん魚の紹介もしている。カンジェロにはじまり、ピラーニャ、ピラルク、ドラドなどなど釣りあげた魚もいるが、釣ることができなかった魚もいる。ピラーニャやピラルクはご存知のかたもおおいでしょうが、カンジェロやドラドは知らない人もおおいのでは。ピラーニャも怖いが、カンジェロのほうがもっと怖いナと思う。

グルマンな開高健はもちろんアマゾンでも喰いまくる。ピラーニャも喰う、ピラーニャの肉はおいしいそうだ、またピラルクの内臓部分の料理は絶品とのこと。もちろん現地の酒、マテ茶、コーヒ、あげくの果てにアマゾン河の水も飲む。

「 オーパ! 」とは、驚いたときに発するポルトガル語。アマゾンのことは、テレビや映画で知っているつもりだったが、この本を読んでいると「え?ほんまに?」「オーパ!」と何度も驚かされた。

バクのオチンチンの長さや、2メートルのミミズ。ウソかマコトか。日常生活に驚きが少ないかたは、ぜひ『 オーパ! 』で新鮮な驚きを体験してもらいたい。

オーパ、オーパ!!アラスカ篇

順番は前後するが、『 オーパ、オーパ!!アラスカ篇 』は『 もっと遠く!もっと広く! 』のあとの釣り旅行となっている。

今回の旅からは、料理会の東大辻調理学校から、谷口教授を開高隊の一員としてむかえている。辻調理学校の校長と開高健は知り合いで何度もエッセイに登場している。

いままで釣り一辺倒、地元の料理しか書いてこなかったが、この度から旅行先でも刺身や味噌汁など和食だけでなく、ブイヤベースなどの西洋料理から、中華料理などを旅先で堪能し、開高健がその味を正確に文章に書き連ねている。

アラスカ篇で狙う魚は、ベーリング海のオヒョウ。オヒョウで調べてみると、CG合成か?といいたくなるような写真が何枚もでてくる。日本人が知っているカレイを何倍にも大きくした魚、それがオヒョウだ。ベーリング海や北極海など寒い海に生息しているようで、人間が暮らすには寒い海も、オヒョウが暮らすには栄養たっぷりのエサが豊富なので、それだけ巨大な怪物サイズの大きさに成長するのだろう。

巨大魚オヒョウと戦う場所は、セント・ジョージ島である。年に1日、晴れたらいいと言われる極寒、冷たい風がふきあれる過酷な島だ。人口は100人ほど、人間が住むには厳しい島ではあるが、オットセイの繁殖地であり、海鳥も沢山住んでいる、魚、貝などの漁業資源が豊富な島。

そんな極寒の海で開高健はオヒョウを釣りあげようと、ベーリング海に躍りでる。白うさぎが跳ねるような海面、人間がベーリング海に落ちると1~2分でオダブツするいわれている極寒の海水。そんな危険な海に、漕ぎだすボードは、雄大なベーリング海に比べると、オモチャのブリキの船にしか見えない船、そんな船にのりこみ開高健は海にくりだす。

オヒョウは北海道でも釣ることができ食べることもできるそうだ。開高健の味の表現と、あなたが味わった味の感想を比べてみるのも楽しいかもしれない。

オー パ、 オーパ!!カリフォルニア・カナダ 篇

アラスカの次はカルフォルニアに飛び、キャンピングカーでの移動を満喫し、最終的にはカナダへと飛ぶ。開高健の釣りの旅としては比較的ラクチンな旅となっている。カリフォルニアでは食料も手にいれやすいことから、谷口教授の料理の腕も冴え、開高健もニンマリしている。

ただし、ブラックバスとはまたまた縁がなく、トロフィークラスを釣りあげることはできなかった。

アメリカの食事についても、開高健は書いている。グルマンな開高健はアメリカの料理をホメている、ファーストフード店をのぞき。大通りから一本ずれた道にあるレストランでは、イタリアンからメキシカンなどおいしいレストランがあるそうだ。またローストビーフやシーフードをたっぷり堪能している、食事を楽しみながら笑い声が聴こえてきそうな文章を書いている。ワインも豊富で低価格だったため、メニューのうえから順番にワインをもってきてくれや、と漢なら憧れのセリフを言っている。

カリフォルニアの次はカナダに飛ぶ。カナダでは、ウォーライとチョウザメを開高健は狙う。

開高健いわく、ウォーライは北半球の淡水魚中、最高の美味だそうだ。そこで、ウォーライを調理するのは谷口教授だけではなく、辻調理学校から西洋料理のマエストロと中華料理の師傅(シーフー)の二人をくわえてウォーライとパイクを調理する。和洋中のシェフ勢ぞろいである。できあがった料理の数は25種類。カナダで味わう満漢全席といったとこであろうか。

つぎは魚肉より卵が有名なチョウザメを釣り、料理をする。卵いりのメスを釣りあげることはできなかった。しかし、オスのチョウザメを教授とマエストロは調理した。書かれているレシピを見るかぎりでは、おいしそうではあるのだが。

チョウザメの魚肉を食べたことがある、白身で肉厚だった記憶があり、けっして悪くはなかったのだが、チョウザメとは肉質がちがうのだろうか?

オーパ!/オーパ、オーパ!!のオマケ

開高健のエッセイが4話、インタビュー記事が1記事。平成元年に掲載されたと書かれている。最晩年の釣りエッセイではないだろうか。

オーパ!の制作にかかわった人の講演をまとめた話が2つ。

オマケの写真として掲載されており興味をもった写真は、ドラドを釣りあげた開高健の笑顔の写真、ブラジルに行くキッカケになった醍醐麻沙夫氏の手紙の写真。オーパ!の目次のネタになっている名著を紹介している写真。

そして、一番、興味をもった写真は、開高健の死後発見された、『 オーパ! 』の取材メモだ。エッセイなどで開高健はメモをとらない、マッチ箱に地名を書くぐらいと書いていたが、取材メモをとっていたことに驚かされた。

「タハッ、ハズカチィ」という開高健の声が聴こえてきそうだ。

もっと遠く!もっと広く!

『 オーパ! 』の刊行後の1979年に行われた北アメリカ大陸の北端から、南アメリカ大陸の南端までを移動する釣り旅行。縦断にかかった期間は8カ月。

北アメリカ大陸の釣り旅行をまとめたのが『 もっと遠く! 』

南アメリカ大陸の釣り旅行をまとめたのが『 もっと広く! 』

海外旅行をしたこともない、わが身では、どちらの大陸が遠く、どちらの大陸が広いかなどの判断はつかず。開高健の文章を読んで判断するのであれば、北アメリカ大陸はデカい、南アメリカ大陸は雄大でタイトル通り広い気がする。遠さでいえば、日本からでいえば南アメリカ大陸のほうが遠いのではないだろうか。

もっと遠く!

北アメリカ大陸の地図を片手に、『 もっと遠く! 』を読むことをオススメします。

魚との糸が切れるかどうかの緊迫したバトル、ダンディーな行動、ニヒルな哲学的な言葉、詩を歌いあげるかのような風景の描写に、心や目を奪われていると、あれ、いま開高健は北アメリカのどこにいて、ナニを釣ろうとしているんだ、となった。オマエだけやろ、ごもっとも反省。

北アメリカ大陸の北端アラスカから旅は始まり、バンクーバ、シアトル、オレゴン、マサチューセッツ、ニューヨーク、さらにもう1度カナダに戻ったりと、義経の八艘飛びよろしく、車や飛行機にのり50歳にちかい開高健が広大な北アメリカ大陸を飛びまわる。

狙った魚の種類もサーモン、スチールヘッド、ラージマウスブラックバス、ストライパー、ブルー、マスキーとアメリカ大陸をよっちらこっちら旅をしながら、その土地の水に生息している魚をルアーで釣り上げようと開高健は悪戦苦闘する。どの魚を釣り上げたか、どの魚は釣れなかったかを書いてしまうと、ミステリー小説の犯人を書くようなものなので、ここではお口にチャック・ノリス。

これだけ釣り応えのある魚が北アメリカ大陸には豊富に生息しているのだと感心させられた。また自由の女神のちかくがよい漁場になっているとはオドロキ桃の木山椒の木だった。日本でいえば東京湾のように汚いイメージだったが、ニューヨークは自由の女神のちかくの海は、魚がのびのびと優雅にくらし大きくなるほど豊穣な海なようだ。Youtubeで自由の女神のちかくで釣りをしているCMを見ることができる。

『 もっと遠く! 』ニューヨークにおとずれた影響か、やや卑猥な話もおおい。女性のお毛毛を釣りのお守りにしたり、日本人のお客はボクのJrはきっと小さいのだろう、と言うなどなど男性であればニヤリ、ギクリとする箇所がおおくある。

もっと広く!

『 もっと広く! 』は南アメリカ大陸の話と書きましたが、メキシコからお話ははじまる。メキシコもラテン系で南アメリカ的な感じはするよね、ね。

釣りをしている描写は北アメリカ大陸ほど書かれていない。しかし、たまに釣りをするとトロフィークラス、つまり大物の魚を釣り上げてしまう。いま風に言うのであれば、持っている開高健。

南アメリカ大陸に上陸してからは、もっぱら国や地形、そこに住んでいる人物の描写がおおい。マテ茶のまわしのみ、ピスコサワーのうまさ、牛一頭のBBQ、土地土地の人間とふれあいながら旅行するのが開高健流の旅行スタイル。

しかし、たのしいことばかりの旅行ではありませんゾ。何十年も昔の南アメリカ大陸、クーラーもあまり普及しておらず、その熱い部屋にとじこもり、エッセイをひ~ひ~と書き上げたり、芥川賞の候補の作品を読み選考したりするのチンドいよと書かれている。開高健は遅筆だといわれているが、闇三部作の完結編を書くのが遅いだけで、エッセイなどはよく書いているように思う。

移動手段のセスナは、年間何台も落ちるようなセスナにのったり、ガードレールもない高山の道をドライブする様子は安全な部屋にいると分かっていても、背筋がゾッとする。高山の道の曲がり角、曲がり角に、十字架がポツンポツンとたっている山道、そこを開高健をのせた世界のトヨタ車が行く。南アメリカの最南端に到達する様子は、マーラがながれ、ワルキューレの騎行がながれ、やっとやっと最南端に到達したと、やりきったような、つかれきったような、長い旅はやっと終わった。そんな文章だった。

旅がおわり、日本に帰ってきた、開高健。そして、日本で暮らし、飽きた開高健は、こう言うだろう「 バーモス 」

オーパ、オーパ!!2

アラスカ至上篇

日本では民間人の釣ることのできないキングサーモン。アメリカやカナダでは民間人でも釣ることができる。アラスカ至上篇を読めば、アラスカでのキングサーモンの釣り方やマナーやルールを知ることができる。海外は漁業資源を守るために、厳格なルールがあることを知った。キングサーモンを釣りに行きたい人、必読の書といえるアラスカ至上篇。

また前回から参加した谷口教授と呼ばれる料理人が、同行するようになり、開高健の舌をよろこばし、体力、気力を充実させる料理を作る。谷口教授の作った料理の描写が増えてくる。開高健がおいしい料理をその場で作る谷口教授を尊敬しているのが文章からよくわかる。やはり人間はうまいものを食べる、それだけで気力と体力が満たされるのだろう。

アラスカの最果ての土地ともいえる場所のホテル、という名のコテージに泊まる一行。土地の食材を使った料理を紹介する文がある。開高健が谷口教授の料理を紹介し、谷口教授も料理の評を書く。これがうまそうでうまそうでアラスカの大地の海で育てられた豊潤な魚介類を一流のシェフが料理する。読んでいるだけで、ゴクリと生つばを何度も飲みこむことになる。

開高健はなんどもキングサーモン釣りに挑戦するが、トロフィークラスを釣り上げることができなかった。この旅でトロフィークラスのキングサーモンを釣りあげることを狙う。1日12時間、ひたすらキングサーモンを釣り上げるために、寒い寒いアラスカの大河にたちつくす。釣れずに帰り、谷口教授の温かいご飯を食べる。2日目も12時間たちつづける。このあいだの文章は明るく書こうとしているが、文章のあいだから、焦燥、自嘲、疑惑といった言葉が噴きだしている。

キングサーモンが釣れないこと30時間。ついにアタリがくる。俄然筆に勢いがでる。シートン動物記をうわまわる、人間と魚の勝負が書かれている。さてはて、開高健がトロフィークラスを釣りあげたかどうかは、開高健記念館に行くか、この本を読みご確認くだされ。

開高健は、旅先でお金もちに気にいられると書いたと思う。この本でもリッチマンに気にいられ、別荘に連れていってもらうことになる。カフェで飲んでいたところ、ライターを貸し、会話をし、話がもりあがり、別荘では釣りではなく、狩猟をすることに決まった。リッチマンは開高健にライフルの打ち方まで2日間みっちり教えこむ。

別荘にいき、小型飛行機にのりこみ、狙う獲物カリブーを探す。シカの仲間で、巨大な木の枝を二本頭にさしたトナカイのような生き物。狩猟は獲物をさがし、山をのぼり、坂をくだり、と大変な様子が書かれている。狩猟はもっと楽なものかと思っていたが、まったくそんなことはなかった。2日にわたりカリブーを追うことなる。

カリブーを仕留めるのだが、魚を釣ったときほど文章が生き生きとしていないように思われた。フィッシングをスポーツととらえ、食べる魚以外はリリースする開高健。スポーツで命を奪うことに、なにか思うことがあったようだ。

旅は成就した。

円が閉じた。

引用元:オーパ、オーパ!!2

コスタリカ篇

アラスカのつぎは、コスタリカでターポンという巨大魚を狙う。コスタリカはドコダロカ?

コスタリカは、北アメリカ大陸と南アメリカに挟まされた中央アメリカに位置する国。

「中米のジュネーヴですわ」

引用元:オーパ、オーパ!!2

コスタリカを一言で表しているが、2021年のいま、麻薬のせいで少しずつ治安が乱れているという噂も聞く。開高健はコスタリカの自然をみっちりと書きこんでいる、南米よりもジャングルは豊穣で、色彩ゆたかな花、そこに生息している生き物を活き活きと書いている。コスタリカはいまも自然は豊かな国のようだ。

コスタリカでも開高健は異常気象に悩まされる、ひたすら雨がふるなか、釣りに行くが目当てのターポンをつりあげることができない。釣りロッジに一緒に泊まっている釣り人たちも魚を釣れていない様子が書かれている、けっして開高健の釣りの腕が悪いわけではないのだ。天候が悪いのだ。

釣りをしていても仕方ないので、コーディネーターの山荘に遊びにいき、野ブタなどを御馳走になる。イノシシにちかい味なのかと思ったら、どうも違うようだ。

ブタはブタでもこれは肉が香ばしく、よくしまり、ジューシーである。脂があることはあるけれど飼豚のようにベタベタ濡れていないので食べ飽きないのである。

引用元:オーパ、オーパ!!2

そして、ここで驚かさせる食材は二つ、猛毒蛇とイグアナ。猛毒蛇は唐揚げに、イグアナはスープで味わったそうだ。調理風景は、『 開高健先生と、 オーパ! 旅の特別料理 』に掲載されている。イグアナ食べてよかったんだ。と驚かされた「オーパ!」

おいしいものを食べた開高健は、ターポンを釣りあげようと再び水辺に舞いもどる。ターポンを釣りあげることはできるのか。ちなみにターポンの肉はマズイとのこと。

モンゴル篇

モンゴルで釣り?あの大草原で?と思ったが、モンゴルには河が流れていることを知る。狙う魚は、開高健が北海道で釣った幻の魚といわれるイトウ。開高健がイトウを日本にひろめたという話だが、わたしは『 釣りキチ三平 』で知った。開高健ファン失格であります。

またまた、モンゴルでも天候不良、氷雨に開高健は泣かされることになる。もうお約束といってもいいのかもしれない。こんかいのモンゴル篇はテレビクルーも同行している。釣果をいうと、トロフィークラスのイトウを撮影期日ラスト1日で釣りあげる。その様子をテレビ放映されたときは、ヤラセでないかという噂がたったほど物語のようによくできている。ヤラセをするような開高健ではないと私は思う。

モンゴル篇を読んで感じたことは、開高健は大物のイトウを釣りたいと思っていたようだが、それ以上にモンゴルという国と歴史、そこに住む人たちに惹かれているように見えた。

開高健が釣りにいったとき、モンゴルは、まだ社会主義の国だった。モンゴル草原でゲルに住む、あの蒼き狼の末裔と一緒に暮らし、ゲルというテントで寝起きし、彼らのシンプル、なにも土地に残さない暮らしに驚かされている。草原に残っているとしても、ウンコを埋めた穴ぐらい。それぐらい徹底して土地になにも落とさず、残さない、彼ら。

また食通ならではの開高健の眼のつけどころに驚かされた。かれらの料理の調味料は岩塩のみ、唐辛子も胡椒もなにもなし、味付けは羊肉と岩塩のみ。何度も何度も長城を電撃作戦でこえ、侵略、略奪し、あげくの果てに王朝もたてた彼ら。中国の料理にふれ、香辛料の味も知ったはずなのに、遊牧民族の味付けは岩塩のみ。これはどういうことだろうカと開高健は考え、想像している。

そして、なにも残さない彼らは、あれだけの大版図を築いた、チンギス・ハーンの墓するどこにあるのか今だに謎である。2021年現在も、彼の墓は謎のままである。

「来た、見た、勝った、消えた、か」

引用元:オーパ、オーパ!!2

開高健はモンゴルにかんする文献を集めだし小説を書こうとしていたように思う。

なにかのエッセイでチンギス・ハーンに関するこの小説オススメだと紹介されていた。かなり昔の小説だが、チンギス・ハーンの若いころから、ホラズム帝国のことまで詳細に書かれていた。開高健のオススメする本はハズレ無し。

中国篇

中国篇、この篇は、まさに冒険、未知への挑戦、いまでいえばUMAを見つけるようなお話で、もっとも壮大で、ワクワクさせられる篇となっている。

中国はハナス湖(文中ではハナス湖となっているが、グーグルで調べるとカナス湖ですか、といわれる)での釣りとなる。地図でみると、中国とモンゴル、ロシア、カザフスタンのちょうど真ん中あたりにある湖。国境的にもややこしい位置にある。

そのハナス湖で、日本の学者が、9メートルから12メートルの魚体を見たという記事が掲載された。それを読み、冒険に飢えていた開高健が「よっしゃ、いっちょ釣ったろか」と立ちあがった。

開高健が釣りにいきたいと願いで、中国の副主席がGOサインをだし実現した釣り冒険篇である。

いまのテレビの冒険番組と比べても、遜色のない壮大な物語ではござりませんか、未知なる湖に住む、巨大な魚を釣りあげる、なんと夢のある物語ではありませぬか。

巨大魚を釣りあげるために、開高健は準備に余念がない。特注のスプーン(疑似餌)をつくった、その大きさはなんと、あの大きな開高健の顔とおなじぐらいである。また投網の名人を二人をスカウトしたり、魚探をもちこんだ。

中国人の陽気な宴会に見送られ、開高健キャラバンは一路、ハナス湖に旅だつ。

幻の巨大魚を釣りあげることができるのかどうか。

池原ダム・琵琶湖

池原ダムを知らないかたもいるだろう。しかし、琵琶湖を知らない人はほとんどいないだろう。ダイダラボッチが踏んでできた日本最大の湖である。

池原ダムは奈良県にあり、琵琶湖は滋賀県にある。世界中を飛びまわってきた開高健が日本でなにを釣るのかというとブラックバスである。

いままで開高健はブラックバスを釣りあげてきたが、フライパンにはいるサイズのブラックバスしか釣りあげることができなかった。そこで、日本でトロフィークラスのブラックバスを釣りあげようともくろむ。

外来種のブラックバスが、在来魚を駆逐してしまうのではという話はよく聞く。開高健はあるていどまで繁殖すると、ブラックバスの繁殖はとまり在来魚と共存するのでは、と推測していた。徐々に在来種は減ってきているというニュースを聞くが、ブラックバスのせいだけなのだろうか。

開高健が釣りをした場所で、琵琶湖だけが行ったことのある場所。1985年の滋賀県は琵琶湖の状態が手にとるようにわかる。ちょうどルアー釣りなども流行りだしてきている様子がわかる。琵琶湖で釣りをしたときの懐かしさが蘇ってきた。

開高健がどこかのエッセイで書いていたが、ブラックバス。これは本当においしい魚である。タラやティラピアにちかい身だが、ブラックバスの身のほうが弾力があり、旨味でむっちりしている。

カラアゲにするとタラのフィッシュアンドチップスよりうまく。蒸し魚にしてやると、ハタなどにあと一歩およばないが、淡水魚としてはまずまずの蒸し魚の味となる。開高健はキャッチアンドリリースが信条だったが、いまの日本ではたしかブラックバスをリリースしたら怒られたはず。怖がらずにブラックバスを食べてみることをオススメする。

スリランカ篇

あれ?また同じ国と思った、あなた、ちょっと違うんだな、これが。前回はコスタリカ、こんかいはスリランカ。

インドの先端からちょっと東南にある大きい独立した島、それがスリランカ。スリランカ篇では、釣りの描写あったけと読みかえしたところ、釣りにかんしてほとんど書かれていない、オーパのなかでも異色の篇となっている。

スリランカの歴史から土地、風景の話にはじまり、宝石の話に変化していく。 スリランカは宝石が沢山とれる国として有名だそうだ。 これまた宝石商人と知り合いになり、開高健は宝石のイロハを勉強する。この体験がおそらく小説『 珠玉 』を書く動機になったものと思われる。スリランカ篇に珠玉という単語を見つけることができた。

高価な宝石の話が続いたと思ったら、庶民的なカレーの話にかわる。ルーで作るカレーではなく、スパイスをふんだんに使い作るスリランカカレーである。

そのスパイスたっぷりのカレーを一日三食、二週間食べつづけたと書かれている。さすがの健啖家、グルマン開高健である。開高健のエッセイで旅にでると、なにかコレと決めた食材、食べ物を徹底的に食べまくると書かれていた。スリランカではカリーを食べまくったようだ。村上春樹さんも、旅では一つの食材を徹底的に食べると書いていた。村上春樹さんも開高健の影響をうけている?スパイスカレーは食材ごとに配合がかわり、飽きることがないと書かれていた。一食ごとにスパイスが変化し飽きることのないスパイスカレーを堪能したいものだ。

ただし、そのスパイスカレーは胃が火事を起こしたような激辛だったそうだ。しかし、ミルクティーを一杯飲むと火事が収まると書かれていた。激辛で舌と胃がホットなときはミルクティーを一杯どうぞ。

そして紅茶の話になり、オーパ、オーパ!!2は終わる。

かくて。

わが円は完成した。

引用元:オーパ、オーパ!!2

オーパ、オーパ!!2 のオマケ

開高健のエッセイが二つ。

髙橋昇カメラマン、モンゴル篇に随行した大学教授、開高健のテレビドキュメンタリーの制作にかかわったお三方の講演の様子が収録されている。

ターポンを釣り上げた写真、開高健の書斎に飾られたマスキーの剥製、カリブーの頭の剥製の写真が掲載されている。

日本の名随筆4『 釣 』

開高健がえらんだ釣にかんする随筆をあつめたもの。

半世紀ほど昔にあまれた本なので、古いとかんじられる部分もある。日本の川釣り、海釣りばかりが主。開高健の随筆のみが海外のサーモンについて書かれている。

それでも批評家としてタカのようにきびしい目をもった開高健がえらんだ釣にかんする随筆は、きらりと輝く珠玉ばかり。

半世紀ほどのときはたった。人と魚のかかわりに変化はみられない、そのようにも感じた。ただし、魚の生活に変化はなけれども、名随筆を書かれたひとはみな。

随筆の巻頭をかざるのは、ムツゴロウこと畑正憲。やさしい文章を書かれるひとだと思っていた。

開高健がえらんだ随筆を読むと、畑正憲は、アウツであり、反逆者でもあり、ハードボイルドな息吹をかんじられるクールな文章を書けるひとだったと知る。

開高健の師匠ともいえる井伏鱒二のエッセイも収録されている。

『 川釣り 』にのせられていた文章とは構成がちがった。井伏鱒二にのせられている随筆とあわせてよむと、開高健が『 最後の晩餐』にて言及していた『美味求真』の謎が浮かびあがってくる。

釣り紀行に同行した人のエッセイを読んだ感想

開高健先生と、 オーパ! 旅の特別料理

『 オーパ!オーパ! 』から釣り旅行に同行し、開高健の食卓で料理の腕をふるった谷口教授が書いた本。旅をした感想とレシピを書いているエッセイ。『 開高健先生と、 オーパ! 旅の特別料理

谷口教授は、開高健の小説を読んだことがなく、釣り旅行に同行することが決まり、エッセイを読んだだそうだ。アウトドアとは無縁の生活をしていた谷口教授を優しくときには厳しく導く開高健。エッセイを読んでいると、谷口教授も開高健を尊敬し、また開高健も谷口教授を尊敬してる様子が手にとるようにわかる。

このエッセイでは、開高健のエッセイではわからなかった料理人の苦労がしみじみとわかる。料理の材料や調理器具がおおいと高橋カメラマンに怒られたり、乾物ばかりで料理を作ったり、モンゴルでは台所が水没するアクシデントにもあう。それらの困難を谷口教授は、開高健にすこしでもおいしい食べ物を食べてもらいたい、開高健にホメてもらいたい、それだけの気持ちで料理に没頭していく。

料理の写真も白黒ではありますが掲載されている。ドアサイズのオヒョウの刺身はもちろん、開高健のエッセイに書かれていなかった日常の食卓の写真も掲載されている。料理の種類は1品ではなく、3品~5品のっています。また地元の人たちと食卓を囲むときには、机いっぱいにお皿に料理がのり、王侯貴族もかくあらんやと提供されている。これだけの料理を海外で、しかも今ほど情報もネットもない時代に作り上げるのは、さすが教授といったところでしょうか。

教授は爬虫類が苦手だが、南米ではイグアナやヘビもさばいている写真も掲載されている。開高健の旅行についていくのは、ヘビーやで。

旅で食べた料理の味の感想から、レシピも少しですが紹介されている。『 オーパ!オーパ! 』で食べた料理をお家で再現できるかも。

旅人 開高健

『 オーパ! 』がベストセラーになった理由として、高橋昇カメラマンの写真があったからだという人もいる。文章の天才開高健とカメラの天才高橋昇が出会い『 オーパ! 』は産声をあげた。

開高健の『 オーパ! 』の旅に同行したカメラマン高橋昇。彼が撮影した開高健の恰好いい写真、魚を釣りあげた写真、トボケタ写真、多数の写真を見ながら、高橋昇が書いた開高健との思い出を読むことができる。

電子書籍版の『 オーパ! 』では、釣った魚の写真は掲載されていない。開高健の文章からどのような魚か想像するしかなかったが、この本を読めば釣りあげた魚を眼で確認することができる。釣りあげた魚を写真で確認し、もう1度『 オーパ! 』を読みかえすと、文章に書かれている通りの魚なんだナと確認することができる。

この本では、開高健のエッセイでは書かれていなかった、他人から見た開高健の行動や性格、記憶力を知ることができる。どこかの国の元大統領と会食したときに、緊張してしまい砂糖と塩をまちがえてコーヒーにいれてしまうお茶目な開高健を知る。

高橋昇の書く文章は、どこか開高健の文章に似ている。開高健と一緒にすごしていくと、どんどん開高健化すると書かれているエッセイを読んだことがある。長いときを開高健とすごした高橋昇、それだけ開高健化がすすんでいてもおかしくないだろう。

高橋昇は開高健を父のように、師匠のように尊敬している様子が、文章の節々から伝わってくる。この本の最後のエッセイを読むと、目尻に涙がたまらざるをえない。

今日も水は流れ続けているモンゴルの河岸で、開高健と高橋昇はイトウ釣りをしているのだろうか。

開高健とオーパ!を歩く

『 オーパ! 』シリーズにたびたび登場する菊地治男さんが書いた本『 開高健とオーパ!を歩く 』

オーパ!の旅から三十三年後、著者がブラジルにわたり、オーパ!の旅をなぞる趣旨で書かれた本。オーパ!を一緒に旅した人は、 2020年、この本の作者菊地治男さんしか生存していない。醍醐麻沙夫さんとは再会している。

はじめて菊地治男さんや高橋昇カメラマンに釣りのイロハを教えた日をくわしく知ることができた。開高健に釣りを教えられた二人は、その後立派なフィッシャーマンになり、モンゴル高原にて開高健より先にイトウを釣りあげることになる。

開高健が、調理人を連れていこうと決めた失敗談も書かれている。菊地治男さんが、われらが偉大なるモンテ・カルメロ号で乾麺の蕎麦を茹でたそうだ、アマゾンの大河のうえで和食を食べることができる、それがドレだけうれしいことなのかワクワクさせられる。しかしだ、でてきた蕎麦を見た開高健は、

一言「タハッ」と言ったきり、早々に船の屋根の上にシェスタをしに行ってしまった。

引用元: 開高健とオーパ!を歩く

シェスタをしながら、昼抜きで腹をすかせた開高健は、つぎは料理人を旅につれていくと決意したものと思われる。

この本では、開高健の編集者ならではの話が面白い。朝早く「哀れな開高」「よれよれの開高」など有名なフレーズの電話がかかってくる日が続いたので、電話線をひっこぬいた話などニッコリさせられた。

編集者の目としては、アラスカのサーモン釣りのエッセイの書きだしが、現地からはじまらずに自室からはじまる書きだしが増えたと書かれていた。たしかに、そうだ。 菊地治男さんが推測したとおり、開高健は、アラスカのサーモン釣りを書くことにあきていたのかもしれない。

それならば、開高健が興味をもちそうな巨大魚はまだまだ世界にたくさん生息している。オーパ!シリーズとして釣りにいく予定だった魚が書かれている。開高健が生きていれば、オーパ!シリーズは長く続き、読者はさまざまな巨大魚に開高健の文章で触れることができただろう。

アマゾン河の食物詩

本文でも書いたが、開高健をアマゾンへと誘った醍醐麻沙夫さん。また直木賞受賞作家でもある彼が書いたブラジルの食べ物、現地の人の食、また日本からブラジルへと移住した日本人の食生活もわかる一冊。

トウモコロシ粉で作った糠漬けは、強烈な香りをしているなど興味深いことが書かれている。

開高健は釣りのことをメインに書いていたので、食べた魚ぜんぶを書かなかったのかもしれない、それだけアマゾン河に生息する魚はたくさんおり、またおいしい魚が生息している。この本では、開高健が書かなかったアマゾンの魚、その魚の味、料理方法についてたくさん書かれている。

ピラニアのおいしさはアマゾン河では上位ではないと書かれていた。ブラジルに長く暮らしているからこそのリアリティのある描写、現地人との交際から知った情報。

『 オーパ! 』に書かれていないことを、この本は補完してくれる。

開高 健がいた。

開高 健の釣りをしている写真、使っていた釣り道具の写真だけでなく、愛用の筆記用具、愛用のパイプ、愛用のライターなどを文章でなく大きい写真でみることができる。これが、エッセイで書かれていたアレかと知ることができる。

高橋昇が撮影した写真もたっぷりと掲載されおり、大きいページで開高健の写真を楽しむことができる。ほかの釣り紀行書と重複している写真はあるかもしれない。一番興味深かった写真は、福田蘭堂から井伏鱒二に伝授された釣りの奥義が書かれた巻物の写真だ。ネタではなく本当にあるのかと、そして想像以上にりっぱな巻物だった。

開高健記念館の内部の写真もある。この机で、数々の名作が生みだされたのか、と眼をひきつけられた。

写真だけではなく、開高健と交流のあった人が開高健との想い出をつづっている。『 陰陽師 』で有名な夢枕獏さんもエッセイを書いている。

この本をぺらぺらとめくっていると、開高健の笑い声が聴こえ、パイプの煙のあまい香りがしてきそうだ。

開高健 釣りエッセイ すべてを読んだ感想【 まとめ 】

開高健の釣りエッセイは、家にいながら、世界中を旅し、その土地の魚を釣ることができます。

文字を読んでいると、風景がうかび、河や海の温度を感じ、川辺にいる動物の声が聴こえてきそうです。

どのエッセイにも、水が太陽を受けて反射光のように、心を照らしてくれる名言があふれていました。生きていくうえで参考になる言葉、唱えると心がフッと軽くなる言葉が沢山です。

開高健の釣り旅行に同伴した人のエッセイも読みました。共通していることは、みんな開高健が好きだった、ということでしょう。

読者だけでなく、会う人をも魅了する開高健の釣りエッセイを読み、紙のうえで世界の魚を釣りにいきませぬか?

開高健の釣り以外のエッセイをまとめた記事はコチラ。

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