水上勉 エッセイ書籍紹介&レビュー あるがままを体現せし作家が書く心に響くエッセイ『 閑話一滴 』『 働くことと生きること 』『 失われゆくものの記 』『 禅とは何か 』『 一休を歩く 』『 「般若心経」を読む 』『 文壇放浪 』

書評

この記事は、水上勉のエッセイの紹介と読んだ感想を書いている記事です。

禅寺で育った水上勉。そして、水上勉は、いろいろな職業を転々とした作家でもあります。老年にさしせまり、あるがままを体現したような作家水上勉が書きしるしたエッセイたちです。

平成が終わりました。水上勉の書いた戦前・戦後の日本の景色は、彼方に消えてしまったのでしょうか。いえ、水上勉のエッセイのなかに古きよき日本の景色や風景、思想が生きています。

日常生活は便利になり、様々な情報の速度が速くなり、情報量があふれかえるほどワチャワチャしている我らが生きる現代。

知らず知らずのうちに、情報過多の現在の生活に削られ摩耗してヘロヘロになったときに、水上勉のエッセイを読むと、いぐさの香りが生きている畳に座り、白い漆喰の壁にぽっかりと浮かぶ黒い丸い窓から見える整えられた明るく清潔な日本庭園を静かな気持ちで眺めているような気持ちにしてくれます。

閑話一滴

『 閑話一滴 』は、水上勉が長年書きつづけエッセイをまとめたものです。話の内容は多岐にわたります。老年にさしかかった水上勉が、死をどのように受けとめたのか、など老いについての話もありますが、ジメッとした暗い内容ではありません。

水上勉が見た風景や、考えさせられたモノなどについて文章だけでなく挿絵も描いています。文章だけでなく味のある水墨画も描ける水上勉。

『 働くことと生きること 』に書かれていた情報から。禅寺が運営する学び舎に通った水上勉。その学び舎では水墨画の描き方を教えていたそうです。ゆえに、水上勉は、水墨画まで描けるようになったのではと。

禅寺といえば、禅の始祖のダルマ。そのダルマの水墨画を授業で描いたと書かれています。そこから、ダルマの画集までを発売した水上勉。

一昔前の作家は、いろいろな才能をもち、一日が28時間ほどあるのじゃないかと感じられるほど多岐にわたる活動をしてると感じます。インターネットがなかった、だから集中できたのでしょうか。

話を『 閑話一滴 』にもどしましょう。『 閑話一滴 』は、水上勉の和紙作りや図書館運営、日本の伝統工芸の視察などの活動を通じて体験したエッセイがたっぷりと収録されています。人とのつながりを大事に、人の歴史を大事にした水上勉。慈しみたくなる人や愛すべき人たちを書く水上勉の文章には、慈母にちかい敬愛を感じます。読んでいると、思わず目頭があつくなる文章です。

水上勉自身もよく目頭をあつくします。

いま、この記事を読まれているかたの年齢はいくつでしょうか。水上勉に惹かれるということは、すこしお年をめされていらっしゃるかたでしょうか。それとも、まだまだ若く、老いとは無関係であり、死について考えたことはないかたでしょうか。

人間は、死ぬために生きると申します。人間いつかは死ぬものです。そして、死について考えることは怖いものです。20世紀の哲学者のハイデッガーは先駆的了解により死の恐怖をのりこえようと書いていたと思います。むずかしい言葉をつかえばいいってもんじゃないですよ。

水上勉は、骨壺を作り、その骨壺を鑑賞していると死が怖くなくなってきたと書いています。そうか、骨壺を作れば死が怖くなるのか、いやいや、そんなことないですよね。

出来のよい骨壺を眺めながら、骨壺にはいる姿を想像し死への恐怖をのりこえ、たのしいものになってきたと書かれていました。私たち凡人からすると哲学なみに書かれている意味がわかりませんが、簡単にいうのであれば死を楽しいもの愉快なものとして考えようといったところでしょうか。

人間50年と歌った本能寺にて炎上した大名の年に近づきつつある私も死について何か楽しいものはないかと考えましたが、楽しいもの愉快なものをまだ見つけられていません。読者さまは、なにか思いつかれたでしょうか。

水上勉は、作った骨壺を知人たちにゆずったと書いています。その骨壺ですが、日本人とアメリカ人のあいだに生まれ戦争に翻弄された禅僧のドキュメンタリー作品『 禅と骨 』に登場していました。そして、その骨壺は実際に。

死の問題につづいて、つぎに印象深かったエッセイの題材それはゲンパツ。いま現代の我らが生きるゲンパツ問題についても言及してます。

ゲンパツにたいするスタンスは、便利なものだと思いつつ、電力の恩恵をうけつつ、もう電気なしでは暮らせない、しかし、どこか不安なものを感じる。安全だ安全だと政府と会社は言っているが、ほんとうにゲンパツは安全なのだろうかと疑問を投げかける水上勉。3,11を経験した私たちは結果を知っています。

水上勉の生地の若狭は、ゲンパツが密集していることで有名です。そして、若狭のゲンパツで作られた電気は、大阪や京都、滋賀、兵庫、和歌山にて使われます。福島と似ているなと思われ方もいらっしゃるでしょう。私もそう思いました。

さらに水上勉は、言葉を続けます。関西に電力を供給する若狭。その若狭は、関西と非常に近いです。しかし、若狭は関西にはいれらていません。関西の天気予報を見ると、滋賀県の北部までは写しだされています。県境をひとつ超えれば若狭です。関西の電力を供給する若狭は、県境一つこえた位置にあります。しかし、関西ではないのです。関西に住み、ゲンパツの恩恵にうけている私は何を言えるでしょうか。

死にゲンパツと暗い話がつづきました。最後は食べ物の話しにて『 閑話一滴 』をしめくくろうと思います。

「 へしこ 」という食べ物をごぞんじでしょうか。サバを塩とヌカで漬ける発酵食品です。水上勉がちいさいころは、少量のへしこを家族全員でわけるのでヌカしか食べられなかったと書いています。大人になり、賞をもらい、作家として暮らせるようになり母からへしこを送ってもらい、ぬくぬくの白米のうえにヌカにまみれたサバをおき食べたときに目頭があつくなったと書いています。

ちいさいころに食べられなかったものを大人になってから食べるのは悦です。水上勉ほどのお方でも食の蠱惑的な魅力にはあらがえないのだなと。

水上勉が、中上健次にへしこを御馳走した話が書かれています。中上健次は和歌山出身作家です。関西を挟んで太平洋側出身の中上健次と日本海側出身の水上勉。

和歌山にもヌカで作る発酵食品はありますか、と尋ねる水上勉。

和歌山にはないなと答える中上健次。

水上勉が返答する、若狭は漬けるほどの小魚を獲れるが、そのかわりにクジラが獲れないと。

中上健次は笑い、巨体をゆらしながら、あつあつ白米にのせられたへしこをヌカごと書きこみ「うまい」とつぶやく。

水上勉が中上健次と再会したときに、へしこの味が忘れらないと伝えられるが、そのころはへしこが出回っておらずあちこち駆けずりまわり、中上健次のためにへしこを手にいれ彼に送ったそうです。

人生経験豊富な男とぶあつい男のやりとり、純和風なハードボイルドといったやりとりを恰好いいものダと感じさせられました。

いま、ふたりの作家は、白い雲の上にてヌカごと焼いたへしこを食べ、うまいなぁと言ってる姿を想像し目頭があつくなりました。

働くことと生きること

とつぜんの質問ですが、小説やエッセイを書く作家をなぜ先生と呼ぶのか、考えられたことはあるでしょうか。いろいろな説があります。そのなかで、おもしろい説をひとつ。

作家になるまえに実際に先生だったから、という説があります。

夏目漱石を筆頭に内田百閒、中島敦、宮沢賢治、芥川龍之介などなどが作家になるまえに、実際に先生でした。水上勉も先生でした。

水上勉が教職時代に体験した、おかみの政策に翻弄された女性の話は、私の心をゆさぶり、そして、目頭をあつくさせるお話でした。控えめに生き生徒の気持ちを真面目に考えた女性。足をひきずり歩く女性が、雪道を歩き休憩したお堂にて。

『 働くことと生きること 』に話をもどしましょう。水上勉が実際に働いた経験を書き、そこから導きだした働くこと、そして、生きることとは何ぞや、ということが書かれている本です。

さて、この本は、私のようなサボリ魔には、耳の痛い本となっております。きちんと働いていない、しっかりと生きていなと感じられる人が読むと、文字と文章が凶器になり耳が痛くなるかもしれません。

水上勉は、先に紹介した教職から禅寺、スーツ売り、公務員、あげくのはてには満州に行き監督者にもなっています。ぶ厚い経験をされてきた作家です。

あまり裕福でない家にうまれ、京都の禅寺にだされ、禅寺を飛びでたあとは様々な職業につき、最後に作家になりました。その作家の仕事すらも楽しいものではなく、辛いものだと書いている水上勉。

ふと、思い出したことがあります。小説を書く作家が、じぶんの趣味のことを書くとよいエッセイが生まれると丸谷才一が書いていました。

開高健の釣り紀行や井伏鱒二の釣りエッセイ。

男性作家の料理エッセイの金字塔にしてパイオニアの『 檀流クッキング 』

そして、水上勉の『 土を喰う日々 』などが有名です。

人間は、つらい仕事をしているよりも、たのしい仕事をしているとイキイキとすると言えるのかもしれません。

おおよそ水上勉もそのようなことを書いています。

ただ、たのしい仕事にめぐりあえる人間はすくない、と残念ながら書かれています。

では、どのようにしてたのしい仕事を見つければいいのか。ここからは精神論になるのですが、導きだされた答えは、手を動かす、手を汚す。

人間最低限の生活をするには、仕事をしなければいけません。イヤだ、ツライ仕事でも手を動かし、手を汚せ、そして、その仕事に真剣にむきあうと仕事がたのしいものなる、おおざっぱにマトメるとこのような話になります。

生きるためには、手を動かし、手を汚せ、サボリ魔の私には耳の鼓膜が痛くなるほどありがたいお言葉。ありがたいお言葉すぎて耳から脳に届けたくないお言葉ではあります。

この言葉は、江戸初期に活躍した禅僧から導きだされた考えです。農民も商人も真っ当に真摯に真剣に仕事にうちこめば、それが仏修行であり、そして心身が成長すると。

そのような人が、いま現在の日本にいるのでしょうか。水上勉が生きた時代の日本には、そのような人たちがいました。

耳が不自由な竹細工名人、東北にて火葬場につとめながら花を咲かせた人、寒い河にて小さいゴミをすき和紙をつくり横山大観に認められた職人たち、他人から見ると辛い仕事をしているであろう人たちが、たのしそうに仕事をなされている姿が、しっかりと水上勉の文字にて書かれています。

働くこと、生きることについて綺麗ごとすぎる言葉が並べられているなと考えてしまいます。しかし、綺麗ごとすら言えなくなるよりは、理想を追い求め、考え続ける姿勢こそが大事なのではと。

失われゆくものの記

水上勉の慟哭が、文章の行間から、文字と文字の隙間から聴こえてくるようなエッセイです。

寂しさ、怒り、やるせなさ、無力感、いろいろな感情が、複雑にうずまいているように感じられます。

「バカヤロウ」と言えれば楽なのですが、大声をあげずに、静かに、しっかりとした言葉づかいで、文化の担い手、文化を下から支えている技術、何年も育てた桜、途絶えてしまっては二度と蘇らない日本の文化と技術が消えてしまってはよいのか、と訴えかけてきます。

訴えてはいますが、水上勉もわかっていたのでしょう。文化と技術、自然は個人の力で守れるものではないと。

水上勉のできることは、文化のすばらしさ、文化の担い手たちの現状を文章にして伝えることだったのでしょう。

水上勉が『 失われゆくものの記 』を書いたおかげかはわかりませんが、いまも日本に現存している文化と技術、伝統はあります。失われたものもありますが。

日本の文化と技術、伝統をすこし大事にしようと思わされるエッセイであり、そこに描かれるひとたちの、日本の誇りを感じられるエッセイでした。

禅とは何か

禅寺で育った水上勉が書いた『 禅とは何か 』

達磨から書きだし、日本の江戸時代の良寛までを書きあげています。いろいろなお坊さんの名前がでてきます。覚えきれないのでメモをとりながら読みすすめました。

お坊さんの話など眠くなりそうだと思われるかも多いでしょう、わかります、わかります。しかし、ある日、なにか、禅にひかれる時がやってくるのです、年をとると。

そんなときに、禅の歴史を知りたくなったあなたにオススメするのが、『 禅とは何か 』

教科書に何年何年にダレダレがナニをしたなどを箇条書きにしていません。お坊さんの面白い説話やどのように修行したのか、どのように大悟(悟ること)されたのか、わかりやすい文章にて書かれています。

わかりやすい文章ではありますが、なぜ大悟したのかは、凡人の私ではわかりませんでした。料理に一生懸命になっているお坊さんの姿をみて大悟されたかた、湖をみて大悟されたかた、大悟の方法はさまざまです。個人個人の大悟があるのでしょう。

この一冊を読めば、禅とは何かの片鱗はつかめるでしょう。いろいろなお坊さんがでてきますので、説話などを読みあなたの琴線にふれたお坊さんの詳しい本を読んだり、ネットで調べたりし、すこしづつ知識をふかめていけば、さらに禅とは何かがわかってくると思われます。

日本の道元のお墓や日本のお寺だけでなく、中国の禅にかんするお寺までをまわった経験が書かれています。

水上勉は、おそらく道元と一休、良寛が好きだったように感じられました。一休と良寛については別の書籍に詳しく書いています。興味のある人は、そちらもいかがですか。

一休を歩く

アニメじゃない、アニメじゃない、ほんとうの一休さんの話です。

一休さんにゆかりのある土地や寺を水上勉がめぐり、その土地を見た感想、一休さんの空気にふれた感想を書いています。

『 一休を歩く 』を読めば、実在の一休さんの生い立ちから死までの道をたどれます。

しかし、一休さんの思考や教えなどは分かりません。水上勉をしても、一休禅師の思考や教えなどは朧げにしか見えてきません。

権力や仏の教え、堕落した坊主に反逆するアナーキスト。酒と女、魚を愛する破壊坊主。それでいて、まわりには一流の人間があつまるような愛嬌のある人間。

『 一休を歩く 』を読んだ結果、一休禅師のことがますます分からなくなりました。いったいぜんたい一休禅師は何をしたかったのだろう。

座禅でも組んで一休みするしかないのでしょう、未熟モノの私は。

水上勉の『 土を喰う日々 』を読んだ感想と登場した精進料理も再現した記事も書いています。

再現した精進料理には、『 精進百選 』の料理もあります。

禅に興味をもたれ、精進料理にすこしでも興味をもたれたかたに。

「般若心経」を読む

日本でよくよまれるお経のひとつの『 般若心経 』について水上勉が書いています。

己の半生と重ねあわせながら、般若心経について解説している本です。

般若心経のことが分かるようになるのかと問われたならば、否と答えさせてもらいます。

般若心経に疑いをもち、本当にありがたいお経なのかと考えさせられる解説本です。

正眼国師と一休禅師の解説を引用しながら解説してくれます。

般若心経の文字数よりもたくさんの般若心経の解説本が書かれています。やさしく解説された本を読み、般若心経にふれたときに、このように思われたかたはいないでしょうか。

無理じゃない、実行できないでしょ、と思われたかたはいないでしょうか。

私も般若心経の解説を読んだときに、そのように感じました。

『 観音経 』の解説を読んだときも感じました。「 ねんぴーかんのりき 」と唱えれば火に焼かれようが、水に漬けられようがヘッチャラである、なので「 ねんぴーかんのりき 」と唱えようと。いやいや、暑いし、苦しいでしょうよ。

すべては無であるから、汚いも綺麗も執着をすて、泰然と生きろ。いっさいのものを突きつめると空なのだ、だから何も考えず何も思わず生きろ、と解説されている般若心経。

般若心経の解説を読んだときは、なるほどと思うのですが、どこかノドに魚の骨が刺さったようなモヤモヤとした気持ちが、いつも残ります。

ズバっと水上勉が、そのあたりを一刀両断してくれます。汚いも綺麗も凡人は捨てられない、すべてが空だというが、父と母がいて、私がいる、そして、私と伴侶から子供が産まれる、その子供の将来を気にするのが人間ではないか。

達観をとおりこしてクールともいえる般若心経。水上勉の解説を読んでしまうと、般若心経には、人間の熱き血が通っていないように思えてくるのです。

ただ、人間は苦しみながら悩みながらも、誰もが生きています。

苦悩している生活のなかで、般若心経を唱えると、精神が落ちつき、心が軽くなるように感じると、そのように最後には書かれています。

般若心経を疑いながら、般若心経に救われるような、短い文字数のお経なれど甚だ不可解で難解なお経、それが般若心経。

こざかしく般若心経をわかったと話すことなく、静かに般若心経を唱えようと思います。

色即是空。

文壇放浪

水上勉は、歩いた作家。水上勉は、人を書いた作家でした。

日本中を歩き、そして、中国の禅寺をたずね、ウィーンを訪ねたとも書かれています。

歩いただけでなく、文壇のまわりを放浪してきた長い長い記憶を書いています。

登場する作家は、誰もが知っている作家から、すこし古くなり今では忘れられた作家など、数多くの作家とふれあってきた水上勉です。そのうえ、批評家と講演旅行をしたり、白洲次郎と京都で遊んだりと交友関係のひろい作家だったのだなと。

数多くの小説を書きあげ、直木賞をとり文豪とよばれるようになった水上勉。はじめから水上勉節といわれる文章を書けたわけではありません。

有名な文豪たちの小説の冒頭を何度も何度も写経したと書かれています。水上勉も写経をかさねることで、じぶんの文体を手にいれたのだと知りました。

また、文章の師匠ともいえる作家の口述筆記を手伝った経験も書かれています。

そして、努力した結果、交流していた縁がむすばれ、小説が発売されます。初期の小説は、赤字まみれにされたと書かれていました。語尾という語尾に赤字がつけられたと書かれています。水上勉も初期は、添削され文章を磨いていったのだと知れました。

縁があれば、私の文章も添削されたいです。水上勉ほどの広い交流関係のない私では。

さて、磨きに磨いた文章で、水上勉は人を書きつづけました。一運命や政策、会社に翻弄されても、足を地につけ、しっかりと日本を生きた人を書きつづけました。

水上勉は小説家としては遅咲きです。40歳で文壇にはいります。文壇のまわりを放浪し、観察し、修行し、文章を書きつづけた結果、物書きとして花が開きます。

しっかりと人とむきあい、文章をむきあえば、あなたも文壇にのぼれるかも。

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